大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

鎌倉時代を考える

鎌倉大仏2

鎌倉時代についての本を雑読している。政治史の本が中心で文化史、いわんや仏像関係の本ではない。さらに、派生して禅の本もひっくり返している。
禅の本は鎌倉時代の政治の文脈にも太く通じていくし、仏教文化、ひいては仏像造像のあり方(偶像の否定)にも大いに関係していることがわかる。
あらためて承久の変の下りを読んでいると、それまでの朝廷、公家という仏像造像のパトロンが京都から急速に衰退していった動きがわかり、それとともに仏像造像の伝統も変わっていったであろう類推が働く。


【承久の変】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1

 もちろん宋風文化の受容とか、「新首都」鎌倉における大規模な寺院普請なども時代の大きな特色であるが、禅の影響も測り知れない。禅やそれに対抗、あるいは補完する鎌倉仏教の台頭と急速な浸透は、そもそも人々の信仰のあり方を根底から揺さぶるものであったろう。なによりも、日蓮を典型に創始者の超人的な事跡は、「生ける神仏」そのものであったろう。動かぬ古式の仏像を超える偉大なる仏教者がいまここで念仏、説法する。そうしたスーパー・スターがつぎつぎに現れた時代であった。
 

【鎌倉仏教】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E4%BB%8F%E6%95%99

 元寇(1274年11月4日-19日、文永11年10月5日-20日:至元11年10月5日-20日、1281年6月9日-8月21日、弘安4年5月21日-閏7月7日:至元18年5月21日-8月7日)の強烈なインパクトも今日からみて想像の世界を超える。果たして民衆にどれほど情報が行き渡っていたかどうかはわからないが、鎌倉幕府のあまりに稚拙な外交交渉、その後の無謀な軍事行動。その切羽詰った悲壮感は尋常一様ではなかった。国家存亡の危機であった。

【元寇】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87

 鎌倉高徳院の国宝・大仏は、元寇時にはすでに完成されていたと考えられるが、元寇後の幕府、国力の衰微からみれば、この時期に造像できたのは天の行幸であったかも知れない。「吾妻鏡」にもいつ完成されたかの記載がないという。当時の物情騒然たる混乱ぶりのあるいは一断面であろうか。
 そして現存する限り、鎌倉大仏は象徴的にいえば鎌倉彫刻のフィナーレを飾るものとなったかも知れない。


【鎌倉大仏】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%BE%B3%E9%99%A2

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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