大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

聖徳太子について(4)

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 また聖徳太子を読んでいるのですか?

 そうなんです。勝鬘経義疏、維摩経義疏、法華義疏のいわゆる3部作に興味をもって少しずつでも読もうとしているのですが、本当にむずかしいです。勝鬘経義疏については前回、少しお話ししたので、きょうは法華義疏について。
 まず、この義疏(ぎしょ)という言い方ですが、あえて言い切ってしまえば「コンメンタール」のようなものです。すると3部作すべてについてそうですが、原典を読まないかぎり、聖徳太子がどのようにそれを解釈したかを正確には知ることはできませんね。

 それでは「法華義疏」のテクストたる法華経ですが、これがとてつもないボリュームです。まず、聖徳太子が読んだであろうテクストですが、『正法華経』(竺法護訳、2世紀)、『妙法蓮華経』(鳩摩羅什訳、5世紀)、『添品妙法蓮華経』(闍那崛多・達磨笈多共訳、7世紀)などが考えられますが、ここでは『妙法蓮華経』(鳩摩羅什訳、5世紀)をみてみます。

 その構成は、「前言」、「經文」の2部にわかれ、さらに
<卷一>序品第一、方便品第二、
<卷二>譬喩品第三、信解品第四、
<卷三>藥草喩品第五、授記品第六、化城喩品第七、
<卷四>五百弟子受記品第八、授學無學人記品第九、法師品第十、見寶塔品第十一、提婆達多品第十二、勸持品第十三、
<卷五>安樂行品第十四、從地湧出品第十五、如來壽量品第十六、分別功品第十七、
<卷六>隨喜功品第十八、法師功品第十九、常不輕菩薩品第二十、如來神力品第二十一、囑累品第二十二、藥王菩薩本事品第二十三、
<卷七>妙音菩薩品第二十四、觀世音菩薩普門品第二十五、陀羅尼品第二十六、妙莊嚴王本事品第二十七、普賢菩薩勸發品第二十八
の7巻28章に分かれています。

 原文は漢文ですから、現代語訳の読み下し文に挑戦していますが、今度は専門的な仏教用語が羅列されてこれも読むのは大変です。それでも法華経は仏典のなかではストーリー性のある話し(仏話)が多く読みやすいとは言われます。

 いままでのところで何がわかりましたか?

 いやいや、こんなんで、なにか「わかった」といったら不遜ですよね!一生をかけて研究されている方もいるわけですから。恥を覚悟で、独断と偏見で知りえたことは、大乗、小乗の見方をある意味で総合して「一乗」という考え方を説いていること、直観的にはちょっとこれ、弁証法に似ていますね。

 方便品第二(第2章)では、①相、②性、③体、④力、⑤作、⑥因、⑦縁、⑧果、⑨報、⑩本末究竟等(原文:止,舍利弗,不須復説。所以者何。佛所成就第一稀有難解之法,唯佛與佛、乃能究盡諸法實相。所謂諸法、如是相,如是性,如是體,如是力,如是作,如是因,如是縁,如是果,如是報,如是本末究竟等)が語られますが、これは「諸法実相」とよばれ、いわば宇宙や存在の根本を説いていること。つまり、認識論や世界観論でしょうか。

 ものにとらわれないことが仏教の真髄でしょうが、そこから「空」の思想がでてきます。しかし、この「空」を孤独に追究していくと、ともすればニヒリズムに陥るリスクがある。他者との関係性のなかで積極的に生き、その生き様のなかで「空」の境地を不断に目指していくことが必要です。法師品第十(第10章)では、それを実践するものとして菩薩がでてきます。菩薩は、慈悲(いつくしみ)、忍辱(うらまない)、空性(とらわれない)心をもった存在で、仏(如来)の使徒して生きます。その如来は如來壽量品第十六(第16章)で永遠無量であることが説かれます。

 ここまでみてくると聖徳太子の思想との関係が朧気ながらも見えてくる、ないしうっすらと感じられるような気がします。現世のより良い生き方、日常の心のもちよう、他者との関係性、目指すべき宗教的な孤高性などで法華経はテクストとしては強い影響力をもっているのではないでしょうか。

 さん、頑張ってくださいね!わたしも勉強してみようかな・・

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