大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏像をどう捉えるか

日本の美術159 誕生仏 

 仏像の何に惹かれるのか。それは観察者の心の「在りよう」の問題である。観察者は常に同じ思いをもって仏像に接するわけではない。ある時は喜びをもって、ある時は怒りをもって、ある時は哀しみをもって、ある時は楽しみをもって、仏像の前に立つ。この「喜怒哀楽」は、そこにおわす仏像とは関係がない。観察者の心のなかにある感情が、その仏像に投影されるだけである。

 研究家、専門家といえども、人間である以上、本来こうした感情の動きから離れて仏像を見ることはできない。しかし、彼らには職業的、専門的な知見があり、そこを立脚点として仏像を見る訓練をしている。一定の見方をもって、仏像に対峙するというのは、ある意味で生成する感情を制御するということである。その見方は、様式史や技術的解析など、つとめて「冷静」であるかも知れないが、一般人の感情を素直に解放して見ることに比して、感情をあえて殺して見るということを意味しよう。

 研究家、専門家によっては、一般人の仏像に対する感情の吐露を低くみて、こうした印象批評について否定的にとらえる向きがある。その一方、一般人からみると、時に、研究家、専門家と呼ばれる人たちが、感情の制御を解いて語る仏像論が、思いのほか形式的であったり、浅薄であったりすることに驚くということもある。もちろん、その逆もあり、さすがに深く仏像を探求してきただけのことはあると感心する場合も多い。

 日本にはほんとうに多くの優れた仏像がある。世界の宝庫といってよい歴史的な蓄積がある。それをどう捉えるか。もちろん、研究家、専門家の見方ではなく、一般人の感情をもって、である。それを考えようと思っている。

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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