大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

日本の仏像(『日本の美術』)

日本の美術118 押出仏と塼仏
【金銅造】
 まず、銅像(金銅仏)だが、これは飛鳥から天平時代に隆盛をみた。その後、すたれ室町時代以降に復古調のものが現れる。鎚ちょう仏(押出仏)もこの時代の特色であり、比較的簡便で多数のコピーをつくる技法としては、なかなかユニークな対応であったと思う。その一方、当時、いまでいう公害、労災にあたるが、鋳造にあたって工人、作業に携わる人々などに鉛害などがあったとも言われ、また、金銅仏の場合、鍍金には莫大な資金も必要であったことから、この技法が次第に使われなくなったとも考えられる。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-206.html

日本の美術159 誕生仏 
【近江路の神と仏2  三井記念美術館 善水寺誕生釈迦仏立像】
一目瞭然。善水寺誕生釈迦仏立像(上記)と東大寺誕生釈迦仏立像。善水寺像はひとまわり小さいけれど、両像は「兄弟作」といってもいいほどよく似ている。往時、このタイプの誕生仏が数多く作像されていたということだろう。戦前は国宝に指定されていた由緒ある逸品であり、いまも金色の輝きが人目をうばう。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-339.html

日本の美術243 釈迦如来像
【飛鳥・白鳳彫刻の魅力(5) 蟹満寺釈迦如来座像】
私は以前から、この「釈迦如来座像」は東大寺盧舎那仏像の原型(のひとつ)ではないかと勝手に考えている。これだけの優れた仏像である。東大寺大仏建立にあたって、作造する仏師がこの仏様を参考にしないこと自体が考えられないと思う。また、当時、この規模の鋳造仏はそう多く存在したとも考えにくい。本来、「釈迦如来座像」であったかどうかはいまはわからないし、螺髪と白毫が失われていることから当初の存在感とは異質の印象を現代のわれわれにあたえていることであろう。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-59.html

日本の美術254 乾漆仏
【興福寺阿修羅像5<動態的な見方>】
阿修羅像をみていると、これを静態的な姿ととらえるか、動態的な姿ととらえるかによって印象がかわってくると思う。
 三面六臂の一種異様な姿は、しかし、踊っているような、身体が見事に回転しているような姿を表現したと想像すると不思議と違和感がなくなってくる。
 中国・敦煌にのこされた阿修羅の天井壁画(530年代と伝えられる)は4眼で4本の腕をもっているが、絵には激しい動きがある。まわりに配置されたほかの飛天なども風をうけて天空を駆けているような姿であり実に動態的である。インドの大ヒット映画マハラジャのあの激しい動き、タイなど東アジア諸国のしなやかな曲線的な踊りを思わず連想する。
 してみると、「三面」は360度全てを見渡している動態を示し、「六臂」は千手観音や東大寺不空羂索観音のようにあまねく衆生を救いたもう常に動いている御手と考え、それを一体に表現しているという解釈だって成り立つのではないか。
 たとえばだが、ストロボスコープ、Stop-Motion技法や日本的に翻案すれば忍者の変幻の術・分身の術などもアナロジーとして考えてみる。今回、真後ろからそのお姿をはじめて拝観しても、まったく破綻がない造型力は、作者の並々ならぬ彫刻的技倆を示していることは間違いない。
 よって、武闘神たる阿修羅の活発さを象徴する三面、六臂といった「動態」性とそれに対して、静かな憂いを含んだようなご尊顔の表情と中空にふわりと浮くような下半身の「静態」性のおりなすアンバランスこそこの像の解析を難しくする魅力の根源であり、視覚に強烈なアンビバレンツ(分裂的)な印象を植え付けるのではないかと思った。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-103.html

日本の美術312 如意輪観音像・馬頭観音像 
【仏像は深い34 あやとい「美しさ」のほとけさま】
はじめにゴメンナサイ。ぼくがどうも苦手の仏さま達である。「生臭さ」(失礼!)を感じる写実性を表現した技倆はたいしたものであるし、造型的にも興味深い逸品だろう。もちろん、こうした仏さまに対して、幾多のすばらしい論評があり、歴史的にも貴重な資産であることは知っている。
 だが、この「美しさ」の系譜はぼくの感性にはどうもしっくりとこない。発注者、スポンサーあるいはある種の高貴な人々ー誰かはわからないけれど、造像に対する一種の「決まり」、「おもねり」があり、そこに作為を感じる。それは、もちろんあらゆる仏像にもあるかも知れないが、これらの像ではそれが表に堂々とでている、あるいは意図的に見せているように思える。そこに外連味(けれんみ)があり、素直に好きになれない。それは我が儘でもあり、偏屈でもあり、もしかしたら浅薄であるかも知れないとも自覚する。
 しかし、これは自分のように仏像研究の専門家でもなく、また、そうなりたいとも思わない単なる好事家には一種の特権であるかも知れない。実は、誰しもそうした感性は自然にあるのではないか。しかし、名品は名品として鑑賞するといった協調性、抑えきった知性がもしかすると邪魔をする場合もあるのではないかともあえて勘ぐる。
 そう!その抑えきった感性こそが年とともに、ぼくは緩くなっているのだろう。ある意味、開き直って、それもまた良しではないかと最近、感じることも多い。
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1853842.html

日本の美術375 梵天・帝釈天
【仏像は深い39 東寺(教王護国寺)は偉い寺】
さて、梵天像である。密教彫刻の精華であり、その偉容は帝釈天とともに東寺の「顔」である。しかし、飛鳥から天平、貞観までを自分自身、一応の考察対象としている者にとって、興福寺阿修羅像とこの梵天像のちがいはぼくにとっては重要である。この仏さまはけっして嫌いではない。その完成度は高く、見るからに超越的であり、密教という当時、彗星のようにあらわれた「新宗教」を御身体で体現しているスーパー・スターである。
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1884381.html

日本の美術166 観音像 
http://www.natsume-books.com/list_photo.php?id=144960&nbid=aobjkjqylv

日本の美術202 一木造と寄木造

日本の美術50 藤原彫刻
【平等院阿弥陀如来坐像1】
久しく訪れることのなかった宇治平等院に先日行った。藤棚が美しかった。もちろん阿弥陀様拝観がその主目的である。
 定朝の確定現存作は、いまもこの阿弥陀如来座像のみと言われるが、定朝様の諸仏にはあまたで遭遇する。それがゆえに、かつての記憶のままに事前の「期待値」はさして高くなかったが、現前で拝して、自らの臆断を反省した。
 関西在勤中、限られた時間から、飛鳥・白鳳・天平・貞観までの仏様に絞って再訪してきた。よって、平等院ははじめから訪問予定リスト外だった。平安後期のこのスーパー・スターは図版で熟知しているはずであった。しかしながら「現地現物」は大事である。学生時代の感覚とは別に、その前に立って、この作品の見事な「品位」に打たれる思いがあった。
 それは、すでに記述してきたとおり、学生時代には、運慶の雄渾を好み、快慶の装飾性を軽くみたことを、五十路半ばで反転した「気づき」と共通するものかも知れない。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-104.html

日本の美術164 大仏師定朝 
【新春写真集3】
宇治平等院「雲中供養菩薩北25号」、53cm高さの木像。平安時代1053年の作品 国宝 壁面を飾る52体の菩薩の中で創建時のものとされる。風を衣のはらみと雲の渦であらわす。ふわりと乗っている軽い量感がいかにも仏さまらしい。お顔の表情が高貴で上体は衆生を正面で受けとめ、下半身は向かって右に進路をとり雲と一体化して動いているように見える。ありえないポーズなのだが妙にリアリティがある。仏師の腕の高さがわかる。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-285.html

日本の美術238 不動明王像
(参考)不動明王坐像
http://blogs.yahoo.co.jp/kcm/11987527.html

日本の美術239 地蔵菩薩像

日本の美術379 八部衆・二十八部衆

日本の美術78 運慶と快慶 

日本の美術374 大日如来像

日本の美術314 文殊菩薩像

日本の美術241 阿弥陀如来像 

日本の美術242 薬師如来像
【空海と密教美術展 魅力の彫刻2 獅子窟寺薬師如来坐像】
大阪・獅子窟寺の国宝「薬師如来坐像」の特徴的な切れ長の目元とコンパクトながら抜群のバランス感ある上体、衣文の美しい処理、印相の優しい表現などは素晴らしい出来。
 螺髪の作り方が丁寧で照明のゆえかその白さが映える。年古(としふる)重みを感じる。鋭角的な目尻は特徴的で、それとの対比で、浄水が流れるような衣文の柔らかさが際立つ。実に周到に考え抜かれた意匠。秀作である。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-244.html

日本の美術317 吉祥・弁才天像 

日本の美術376 愛染明王像 

日本の美術151 二王像

日本の美術221 みちのくの仏像 
日本の美術222 鎌倉地方の仏像 
日本の美術225 紀伊路の仏像
日本の美術226 四国の仏像 

日本の美術147 石仏 

日本の美術252 鉄仏

日本の美術313 閻魔・十王像

日本の美術378 五大明王像 

日本の美術481 人面をもつ鳥 迦陵頻伽の世界 

日本の美術381 十二神将像
【仏像は深い13 仏画の魅力】
仏像は、仏像彫刻もあれば「仏像」絵画もある。仏画とは一般に「仏教」絵画のことを指すようだが、いずれにしても、仏像は立体的な造型もあれば、絵画という平面的な、しかし優れて色彩的な領域もあるということだ。
 四海をかこまれた日本において、嵩張る仏像にくらべて、巻物の絵画の海上運搬は容易であり、経典とともに多くがもたらされた。
 特に、密教の伝来とともに、経典、仏画の研究が一層すすみ、儀軌にそくした仏像がつくられるようになった。その場合の仏画は、一種の教則本、マニュアルでありとても貴重なものであったろう。

 高松塚古墳壁画、法隆寺金堂壁画、天寿国繍帳、玉虫厨子、さらに時代が下って両界曼荼羅などをみると仏画が当時の人びとに与えた影響の大きさを感じずにはおかない。しかも、往時は極彩色であり、まことに絢爛豪華なものであったろう。仏像とは別に至宝の趣きがあったはずである。
 仏像は時と共に劣化するが、後世に芽生えた日本的な侘び、寂び的な感覚からすれば、風雪をへた味わいに別の価値をみいだすこともできる。金色に輝くより黒光りする仏像、金箔や漆の剥落した仏像にも日本人は特有の良さを見いだす。
 その一方、絵画は長期保存が難しく、色彩や線画の劣化は避けがたい。国宝では、仏像よりも仏画のほうが点数が多いのだが、常設展示でみることのできる機会は残念ながら限られている。
 ゆえに、専門家では仏画の研究家も多いながら、一般に「仏画ファン」は仏像彫刻愛好者にくらべてはるかに少ないだろう。しかし、経典、儀軌についての関心があれば、仏画はまた別の楽しみ方もできる。最近は仏画の本もよく手にとるようになった。
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1849943.html
拾遺集

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日本の美術 第21号 飛鳥・白鳳彫刻 編:上原昭一 S43年 至文堂

日本の美術 不空羂索・准胝観音像

日本の美術 第10号 肖像彫刻 編:毛利久 昭和42年 至文堂

日本の美術 10世紀の彫刻

日本の美術 南北朝時代の彫刻 
日本の美術 第40号 鎌倉彫刻 編:西川新次 昭和44年 至文堂

日本の美術 東国の鎌倉時代彫刻 鎌倉とその周辺

日本の美術 江戸時代の彫刻

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