大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

仏教思想

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  まえに聖徳太子、空海、平安彫刻隆盛、運慶の登場について200年説(※1)をだしたのを覚えているかな。鎌倉時代以降は仏教もかわってしまった。それで、仏像の役割も大いに変化したと思うのだけど、その辺どう思うね?

※1:「閃いたぞ!聖徳太子から空海までちょうど200年、さらに200年たって11世紀初頭、藤原道長がでてくるな。定朝の時代の幕開けだな。さらに200年、鎌倉幕府の時代、運慶、快慶ら慶派の最盛期だ。日本彫刻史において、ちょうど200年周期説が成り立つんじゃないか。これって大発見かも知れんな!」
◆「聖徳太子と空海」
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-194.html

  まず、前にも言いましたが200年説って良いとこどりで、年表を拾っただけではないですか。今回、行基さん(※2)のことを勉強しましたが、行基さんを考えると100年説だってありえますよね!

※2:「行基(668~749年)は、聖徳太子(574~622年)と空海(774~835年)のちょうど中間に位置している。聖徳太子没後約半世紀をへて行基が生誕し、行基寂滅後約四半世紀をへて空海が産声をあげる。」
◆「渡来人の系譜 4  行基について」
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-448.html 

  私もそう思うわ。平安時代だって、最澄がいたし、最澄(※3)の天台宗が、空海の真言宗にくらべて、当初は力不足だったけれども、その後、優秀な弟子の貢献で広く流布されたことなども考えておくべきことですよね。そうしたことから言えば、空海から藤原道長にあまり脈絡なく、いきなり200年飛ぶのはどうかと思いますけど。

※3:「比叡山延暦寺についての本を読んでいる。最澄という一人の巨人の存在が、このユニークで広大な自然のなかに厳しい道場を生んだ。その物語は感動的である。」
◆「仏像は深い9 最澄と比叡山」
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/1848152.html

  偉大な考え方は、いつの世もなかなか理解されないものだな(から強いブーイングの声!) 
おいおい、はじめから  が聞いていたぞ、(助け船をもとめて)このあたりはどう思うね。


  一定程度、記紀などの文献に信頼をおくという前提ですが、日本における仏教の【学理研究】とその成果という視点では、聖徳太子の時代を嚆矢として空海の思想で頂点を迎え、以降は独自性ということでは衰退する。【政治的】に、仏教が政権に食い込むということでは、鎮護国家論を背景として、道鏡の時代にその中枢に位置し、以降はその反省もあって次第に外延化していく。【仏像彫刻】などについては、 の領域ですからコメントは差し控えるとしても、以上でもわかるとおり、【学理】と【政治】と【宗教的創造物】とではその盛衰の時期が明らかに異なっていることが重要だと思います。そのあたりをキチンと整理しないと、「周期」といったような考え方は取りえないと思うのですが。 
 さらに言えば、国家が仏教を統制するという考え方やその制度は時代とともに崩壊していく。仏教界の俗物化(堕落)もあって、国家論からみた仏教はその影響力を著しく減じていく。しかし、鎌倉時代以降の念仏を糧とする民衆への浸透という視点では、むしろ逆で広範に人々の生活に入っていく。行基の足跡を追っていて面白いのは、まさに行基こそ、そのフロンティアの一人ではなかったということです。仏教思想の変遷は、そうした意味でも多角的に、しっかりと抑えておくことが大切ですね。

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