大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

龍樹菩薩

龍樹菩薩

『龍樹菩薩』(小説仏教シリーズ14)池田 得太郎 第三文明社 1974年
http://blogs.yahoo.co.jp/kojinnbook999/17553531.html

単純な頭では単純なことしか考えられない。しかし、人間の感性は実は深く複雑な心象をもっており、それを十分に表現できないだけということなのかも知れない。子供は「穢れなき心象」をもっているが、それを表現する術はもたない。大人になれば、誰しも様々な煩悩が芽生えてくる。その一方、学問をすることによって一定の表現手段を有するが、しかし、残念ながら「穢れなき心象」はもはや失われており、それを的確には捉えられない。

ところで、一部の人間は、この「穢れなき心象」を懸命に捉えようとする。様々な煩悩を生じさせないように規律をもって身を正し、いわば子供のような精神状態に近づくことによって、「穢れなき心象」を追体験し、それを表現せんと試みる。こうした営為はそれだけでどうして大変なことだが、大局からみれば常識的なもので、修業の階梯としてはさほど高いものではない。


それとは異質の哲学的な発想をもった者も時に出現する。「無」と「有」(「無いもの」と「有るもの」の区別)という常識的な判断を超えて、両者とは異次元の「空」という新しい概念を考えだした天才こそが龍樹菩薩である。

本書では、それを類推させるべく、数学におけるゼロの発見を比喩でつかっているが、宗教的(仏教)では、この「空」は、いわば「穢れなき心象」と言い換えてもよいかも知れない。そこで重要なのは、静態的、内省的な営為(ひたすら人格的な陶冶を目指す「小乗」)によってではそれは体得できないということである。宇宙の運動論にも似て、動態的、外延的な営為(分け隔てのない人民の不断の救済を目指す「大乗」)によってのみ、「穢れなき心象」に無限に接近することができるという観念が「空」である。全宇宙の運動を、一個の人間の心象の運動に見立てているとでも言えようか。仏陀の教えのなかから、こうした「空」の観念論を導こうとしたのが龍樹菩薩であり、それをより体系的、実践的に措定したのが無著と世親であり、龍樹菩薩の大乗論を中国語に翻訳せんと努力したのが鳩摩羅什である。


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本書と以下2冊を読んでの小生の拙い感想だが、本書では龍樹の仮想的な伝説をリアリティある物語として書き下した点に特色があり、いわゆる「空観論」についてはサラリと触れているにすぎない。しかし、書き下しにはご苦労があったろうと思う。後宮に入り込み数多の宮廷女を犯す部分は一行をもって述べ、空から兵馬が降ってくるスペクタクルspectacleな戦闘場面は竜巻の出現をもって代替表現する。ただ、後半に行くにしたがって、龍樹菩薩の「徳」が見えにくくなる憾みがあるように思う。そこもいかにもインド的な特質かも知れないが。

(参考)空海と密教美術展 空海について考える2 十住心論の体系
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-252.html
(参考)
鳩摩羅什による龍樹の伝記

『龍樹菩薩傳』  姚秦三藏鳩摩羅什譯

龍樹菩薩者。出南天竺梵志種也。天聰奇悟事不再告。在乳餔之中。聞諸梵志誦四圍陀典各四萬偈。偈有三十二字。皆諷其文而領其義。弱冠馳名獨歩諸國。天文地理圖緯祕讖。及諸道術無不悉綜。契友三人亦是一時之傑。相與議曰。天下理義可以開神明悟幽旨者。吾等盡之矣。復欲何以自娯。騁情極欲最是一生之樂。然諸梵志道士勢。非王公何由得之。唯有隱身之術斯樂可辧。四人相視莫逆於心。倶至術家求隱身法。術師念曰。此四梵志擅名一世草芥群生。今以術故屈辱就我。此諸梵志才明絶世。所不知者唯此賤法。我若授之。得必棄我不可復屈。且與其藥使用。而不知藥盡必来永當師我。各與青藥一丸告之曰。汝在靜處以水磨之。用塗眼瞼汝形當隱。無人見者。龍樹磨此藥時聞其氣即皆識之。分數多少錙銖無失。還告藥師向所得藥有七十種分數。多少皆如其方。藥師問曰汝何由知之。答曰。藥自有氣何以不知。師即歎伏。若斯人者聞之猶難。而況相遇。我之賤術何足惜耶。即具授之。四人得術縦意自在。常入王宮。宮中美人皆被侵〓。百餘日後宮中人有懷妊者。〓以白王庶免罪咎。王大不悦。此何不祥爲怪乃爾。召諸智臣以謀此事。有舊老者言。凡如此事應有二種。或是鬼魅或是方術。可以細土置諸門中。令有司守之斷諸行者。若是術人其跡自現。可以兵除。若是鬼魅入而無跡。可以術滅。即敕門者備法試之。見四人跡驟以聞王。王將力士數百人入宮。悉閉諸門。令諸力士揮刀空斬三人即死。唯有龍樹斂身屏氣依王頭側。王頭側七尺刀所不至。是時始悟欲爲苦本衆禍之根。敗徳危身皆由此起。即自誓曰。我若得脱當詣沙門受出家法。既出入山詣一佛塔出家受戒。九十日中誦三藏盡。更求異經都無得處。遂入雪山山中有塔。塔中有一老比丘。以摩訶衍經典與之。誦受愛樂雖知實義未得通利。周遊諸國更求餘經。於閻浮提中遍求不得。外道論師沙門義宗咸皆摧伏。外道弟子白之言。師爲一切智人。今爲佛弟子。弟子之道諮承不足將未足耶。未足一事非一切智也。辭窮情屈即起邪慢心。自念言。世界法中津塗甚多。佛經雖妙以理推之故有未盡。未盡之中可推而演之。以悟後學於理不違。於事無失斯有何咎。思此事已即欲行之。立師教戒更造衣服。令附佛法而有小異。欲以除衆人情示不受學擇日選時當與。謂弟子受新戒著新衣。獨在靜處水精房中。大龍菩薩見其如是惜而愍之。即接之入海。於宮殿中開七寶藏。發七寶華函。以諸方等深奧經典無量妙法授之。龍樹受讀九十日中通解甚多。其心深入體得寶利。龍知其心而問之曰。看經遍未。答言。汝諸函中經多無量不可盡也。我可讀者已十倍閻浮提。龍言。如我宮中所有經典。諸處此比復不可數。龍樹既得諸經一相深入無生二忍具足。龍還送出於南天竺。大弘佛法摧伏外道。廣明摩訶衍作優波提舎十萬偈。又作莊厳佛道論五千偈。大慈方便論五千偈。中論五百偈。令摩訶衍教大行於天竺。又造無畏論十萬偈。中論出其中。時有婆羅門。善知咒術欲以所能與龍樹諍勝。告天竺國王。我能伏此比丘。王當驗之。王言。汝大愚癡。此菩薩者。明與日月爭光智與聖心並照。汝何不遜敢不宗敬。婆羅門言。王爲智人何不以理驗之。而見抑挫。王見其言至爲請龍樹。清旦共坐政聽殿上。婆羅門後至。便於殿前咒作大池廣長清淨。中有千葉蓮華。自坐其上而誇龍樹。汝在地坐與畜生無異。而欲與我清淨華上大徳智人抗言論議。爾時龍樹亦用咒術化作六牙白象。行池水上趣其華座。以鼻絞拔高舉擲地。婆羅門傷腰。委頓歸命龍樹。我不自量毀辱大師。願哀受我啓其愚蒙。又南天竺王總御諸國信用邪道。沙門釋子一不得見。國人遠近皆化其道。龍樹念曰。樹不伐本則條不傾。人主不化則道不行。其國政法王家出錢雇人宿衞。龍樹乃應募爲其將。荷戟前驅整行伍勒部曲威不厳而令行。法不彰而物随。王甚嘉之。問是何人。侍者答言。此人應募既不食廩又不取錢。而在事恭謹閑習如此。不知其意何求何欲。王召問之。汝是何人。答言。我是一切智人。王大驚愕而問言。一切智人曠代一有。汝自言是何以驗之。答言。欲知智在説王當見問。王即自念。我爲智主大論議師問之能屈。猶不是名一旦不如此非小事。若其不問便是一屈。遲疑良久不得已而問之。天今何爲耶。龍樹言。天今與阿修羅戰。王聞此言。譬如人噎既不得吐。又不得咽。欲非其言復無以證之。欲是其事無事可明。未言之間。龍樹復言。此非虚論求勝之談。王小待之。須臾有驗言訖。空中便有干戈兵器相係而落。王言。干戈矛戟雖是戰器。汝何必知是天與阿修羅戰。龍樹言。搆之虚言不如校以實事。言已阿修羅手足指。及其耳鼻從空而下。又令王及臣民婆羅門衆見空中清除兩陣相對。王乃稽首伏其法化。殿上有萬婆羅門。皆棄束髪受成就戒。是時有一小乘法師。常懷忿疾。龍樹將去此世。而問之曰。汝樂我久住此世不。答言。實所不願也。退入閑室經日不出。弟子破戸看之。遂蝉蛻而去。去此世已来至今。始過百歳。南天竺諸國爲其立廟敬奉如佛。其母樹下生之。因字阿周陀那。阿周陀那樹名也。以龍成其道。故以龍配字。號曰龍樹也。
http://www.kosaiji.org/Buddhism/text/ryujubosatsuden.htm

(参考文献)
●石飛 道子『「空」の発見――ブッダと龍樹の仏教対話術を支える論理』 サンガ 2014/10/23

【内容紹介:以下は引用】
仏教総合誌『サンガジャパン』への 寄稿文をまとめた著者渾身の作品集
【本書の構成】
第1部 「空」の世界へ ブッダと龍樹にみる実践の論理「空」 ---------
第1章 幸せになるための「ことばの使い方」 ブッダの教えと龍樹の語法
I ブッダの法であること
第2章 喩えて語る人なれば―対機説法は「空」の裏技
第3章 無常の法は無常である―消えていく仏説は「空」
II 論争を避けること
第4章 龍樹菩薩の気持ち―「空」に対立なし
第5章 四悉檀説について―一切智者は「空」の使い手
III 法(ことば)にこだわりをもたないこと
第6章 中身のないお話 「空」はからっぽ
第7章 「悟り」は証明できるのか? 「空」は永久の証明
IV 他を縁とせず、 あるがままに見ること
第8章 般若心経は間違いでない? ただあるだけのもの、それが「空」
第9章 菩薩のお話 「空」は菩薩の「願い」の中に

第2部 無我の世界へ 古代インド思想界とブッダの法「無我」 ---------
第10章 瞑想と学説を乗り越えて
I 自己の探究 無我へ!
第11章 食べられて、食べる者は食べる
第12章 目覚めのことばは、目覚めた人からやってくる
II 輪廻の探究 解脱へ!
第13章 「死なない存在(不死)」を求めて
第14章 輪廻転生と業のお話

第3部 そして、現代世界へ 世界の思想と仏教の倫理「利他」 ---------
I 西洋の哲人とブッダ
第15章 幸福に生きる! アランとブッダ
第16章 仏教と西洋思想による「怒り」へのアプローチ
II 世界の宗教と仏教
第17章 五戒の考察
第18章 「隣人愛」と「愛しいもの」 キリスト教の愛、仏教の愛

●石飛 道子『龍樹―あるように見えても「空」という (構築された仏教思想)』  2010/9

【著者プロフィール】
石飛道子 (いしとび みちこ)
1951年、北海道札幌市生まれ。北海道大学大学院博士課程単位取得退学。現在、北星学園大学非常勤講師。著書に、『インド新論理学派の知識論─『マニカナ』の和訳と註解』(宮元啓一氏との共著、山喜房佛書林)、『ビックリ! インド人の頭の中─超論理的思考を読む』(宮元啓一氏との共著、講談社)、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社)、『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房佛書林)、『ブッダと龍樹の論理学─縁起と中道』『ブッダの優しい論理学─縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』(以上、サンガ)、『龍樹と、語れ! ─『方便心論』の言語戦略』(大法輪閣)がある。

【以下は引用】
石飛道子 「龍樹と輪廻転生」

 大乗仏教中観派の開祖龍樹は、仏教史の中の巨星である。彼はゴータマ・ブッダに次いで多くの人々に人気がある。その鋭い論法と自由奔放な論理展開、さらには、彼を特徴づける空(くう)の思想は、わたしたちを魅了してやまない。
 これらは、龍樹の独自の思想として語られたりするが、しかし、一つ、忘れてはならないことがある。
 わたしの見たところ、龍樹はブッダの忠実な注釈者である。彼ほどブッダの言葉のすみずみまで熟知した人はなく、彼ほどブッダの心のひだの奥底まで知っていた人はいない。
 独自に見える論法や空の思想も、元をたどるとみなブッダの経典の中に見いだされる。ブッダの説く法にしたがって、その法をさらに龍樹の時代に合わせて展開したのが、彼の著作群であると言ってよいだろう。
 そう言える証拠として、わたしはみなさんに自分自身を差し出したい。龍樹作『方便心論』を読んで、わたしが理解したのは、じつはブッダの法だった。それは、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)にまとめた通りである。
 輪廻思想についても、先に「ブッダは輪廻を説かなかったか」(上)(下)と題して、本誌『春秋』に寄稿させていただいたが、その内容はブッダの説く思想であると同時に、じつは種明かしをすると、龍樹の説く思想でもあったのである。龍樹の作品『中論』の偈頌、『方便心論』、『宝行王正論』、『因縁心論』、後は、おそらく龍樹作である『大智度論』を註釈として、阿含経典にあるブッダの輪廻転生の哲学説を検討し確かめたうえでまとめたからである。
 龍樹で有名なのは、空の思想なので、龍樹の輪廻思想はどこにあるのだろうと思われる人もあるかもしれない。龍樹の説く輪廻説と空との関係を少しお話ししよう。

善悪と空
 これまでの龍樹思想研究は『中論』を主体としている。そのためかどうか、龍樹の思想解釈には、誤解や混乱があると思う。ここは、まず『方便心論』を取り上げてみよう。
 『方便心論』には、「善悪」と「空」という二つの言葉が出てくる。善悪の特徴と空の特徴をよく知るならば、みな悩みも障害もなくなるだろうと説かれるが、さらにそれについて、『方便心論』は重要な提言をするのである。それは、ものごとを語る順序についてである。
 もし、最初に「あらゆるものは空であって、幻の如くであり、真実ではない」と「空」を説くと、智者はわかるが、愚者は混乱してしまう。だから、愚者には、まず、行為とそれには結果があること、煩悩の束縛と解脱のあること、行為する者とその結果を受ける者のことなど、つまり、「善悪」を語らねばならない。そうすれば、愚者でもすぐにわかって疑うことがない。この後に、ようやく空の説明に入るべきであると説くのである。
 「善悪」とは、すなわち、輪廻の境涯を指している。善い行為をすればよい境涯に生まれ、悪しきことを行うと悪しき境涯に生ずるというあり方である。これは、『中論』では「世俗諦」と言われる。
 一方、「空」とは、この場合、輪廻を脱した者のあり方を指している。こちらは、「勝義諦」と言われている。
 さて、そこで、愚者とは誰だろうか? 『方便心論』は内科医チャラカを対象に書かれた批判の書である。だから、この書は、非仏教徒にあてたものと見ることができる。この場合、愚者とは非仏教徒なのである。  しかし、一方、『中論』は、部派など仏教徒に向かって説かれた批判の書である。彼らは、既に輪廻の行程は熟知しているはずである。この行程は、ブッダが十二支縁起説の順観によって示していたのである。だから、『中論』はそこから脱する道の方に力点が置かれることになる。こちらの道は、十二支縁起説の逆観にあてはまる。このため、縁起のもつ「空」という性格が重視して説かれているのである。
 善悪を説き、次に、空を説く。これが、龍樹の主張する順序である。  同じことが、『宝行王正論』にも説かれる。ここでは、「まず法による安楽があるならば、その後、至福(解脱)の達成がある。安楽を獲得したあと、それから後、至福へと向かうのである」と説かれ、「善悪」と「空」は、それらの実践によっていたる境地、すなわち、「安楽(アビウダヤ)」と「至福(解脱)」に置き換わっている。そして、第一章では、実際に「安楽」それから「至福」という順序で、内容的には、善悪とその報い(一・七~一・二四)が、次に、空観(一・二五~一・三四)が説かれている。

縁起と空
 善悪を説き、その後、空を説くのは、これらだけではない。『中論』によっても、それは、はっきりと知られる。第二六章の十二支縁起の説明で、無明に始まり老死に終わる十二の行程が説かれ、苦しみが集まり起こるさまが述べられる。ここに「善悪」のあり方が示される。そして、次に、無明が滅することにより、次々と後のものも滅していき最後に苦が滅すると、「空」のあり方が示される。
 先に拙稿「ブッダは輪廻を説かなかったか」(上)(下)では、ブッダの哲学は、弁証法の哲学であると述べた。苦しみにいたる輪廻の道筋をまず説き、次にそれを脱する道筋を示すという順序で語られると強調したのである。この根拠におかれるのが、縁起(因果関係)である。このように、縁起は、時間に縛られた関係である。ブッダの説く縁起が因果関係であるなら、龍樹の説く縁起も、また、因果関係である。
 従来、龍樹の説く縁起は、相依相関の関係であるとよく言われる。それは、『中論』のみを考察対象とし、「空」を先に取り上げたことに起因する誤解ではなかろうか。つまり、「善悪」の思想を意識しなかったために、最終的に「縁起」が時間を説く関係であることを見落としたのではないかと思う。この問題については、いずれ機会を見て詳しく論じたい。

龍樹の輪廻思想
 さて、具体的な輪廻転生については、『中論』第二六章を見ていこう。ここで、龍樹は十二支の縁起説を説明しているが、ブッダの十二支縁起の定型的な説明とは少し異なっている。龍樹の説明は、生死流転の因縁(ニダーナ)をとくに意識して、『大縁経』や『サンユッタ・ニカーヤ』一二・六五にあるような、九支縁起や十支縁起の行程をここに重ね合わせて解釈しているように思う。
 ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。
 龍樹も、同じように、十二支縁起を、識(意識)を中心とするこの世からかの世への生死の流転として説明するのである。具体的には、第二六章の最初に「無知(無明)に覆われたものは、形成力(行)によって再生に向かう三通りの行為をなすが、それらによって、趣(来世に住するところ)に赴くのである」と述べて、次に「形成力(行)を縁として、意識(識)は、趣に入る」と説明している。
 また、拙稿「ブッダは輪廻を説かなかったか」では、わたしは、遺伝子DNAの過去から未来への伝達が現代科学における輪廻転生であると述べ、それに対比させて、意識(識)の過去から未来への伝達が、ブッダの輪廻転生であると説明した。そう言えるのは、現代科学もブッダの教説も、因果関係を主としているからである。だから、現代のわたしたちにとっては、このDNAの喩えもそんなに悪くはないと自分では思っている。
 しかし、龍樹の説明はもっとよい。彼は、「過去から未来への識の伝達」という輪廻のメカニズムを、縁起を基盤としながら上手に説明してくれる。  『因縁心論』の註釈で、彼は、師が口に唱えるものを弟子がまた唱え、というように師資相承の教えの伝達を喩えとして持ち出すのである。師の唱えるものが、臨終の意識にあたるとすれば、弟子の唱えるものは、その次に続いて生ずる意識になる。そうして、口伝の教えが代々伝わるように、識もこの世からかの世へ伝達され輪廻していくのである。
 龍樹の喩えは、現代のわたしたちに、輪廻転生の仕組みとともに、口伝による仏法のありさまについても如実に教えてくれている。巧みな喩えと思う。
http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation3.html

●中村 元『龍樹』 (講談社学術文庫)   2002/6/10

【内容紹介:以下は引用】
一切は空である。あらゆるものは真実には存在せず、見せかけだけの現象にすぎない。仏教思想の核心をなす「空」の思想は、千八百年前の知の巨人龍樹により理論化された。インド・中国思想に決定的影響を与え、奈良・平安仏教でも「八宗の祖師」と讃えられたその深く透徹した思考が、仏教学・インド哲学の世界的権威の手で、「中論」全文とともに今甦る。

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