大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」

櫟野寺8

特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」が、東京国立博物館(本館 特別5室)で 2016年9月13日(火) ~ 12月11日(日) まで開催される。

甲賀といえば伊賀とともに、一般には「忍者の里」というイメージが強いが、比叡山延暦寺にもちかく最澄はじめ天台宗の僧が拠点とし往時は大寺院が栄えたゾーンでもあった。ゆえに平安時代からの仏像の集積も並々ならぬものがある。その甲賀の名刹、櫟野寺諸仏のいわば引っ越し展示が東京秋の仏像探訪のハイライトである。

【以下は引用】(記載がないものは東博HPから)

1.櫟野寺 らくやじ (いちいの観音)の略縁起(当寺HPから)

福生山自性院櫟野寺(いちいの観音)は桓武天皇の延暦十一年に比叡山の開祖伝教大師様が根本中堂の用材を得る為に甲賀郡杣庄おいでにまりました時、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下彫刻安置されました。日本最大坐仏十一面観音菩薩がご本尊様です。(世に生えぬきの観音様と称されております。)

その後、延暦二十一年鈴鹿山の山賊追討に当たり、杣ケ谷を櫟野まで登られた坂上田村麻呂公は、当地鎮座の櫟野観音さまに祈られその御力により鈴鹿山の群賊を平定することが出来たのであります。(鈴鹿山の鬼退治と伝わる)それ故将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、永く当山守護の為に自ら等身の毘沙門天の尊像を彫刻、そして家来に命じて国技の相撲を奉納、是が現在まで継続しております大会式十月十八日の奉納相撲なのであります。

当寺は、天台宗総本山延暦寺の末寺で、往古は甲賀六大寺の筆頭と云われ、この地方の天台文化の中心寺院であり、広大な境内地を有し、その末寺には阿弥陀寺(櫟野)・仏生寺(神)・常楽寺・地蔵寺(櫟野)・成道寺(櫟野)・安国寺(櫟野)・詮住寺(櫟野)など数々の坊がありましたが、年月不詳荒廃に帰したのであります。(転宗、合併し一部現存)
http://www.rakuyaji.jp/engi.html

2.出展仏像

滋賀県甲賀市に所在する天台宗の古刹・櫟野寺(らくやじ)には重要文化財に指定される平安時代の仏像が20体も伝わります。
その数は、優れた仏像が数多く残る 滋賀県でも特筆されます。本展は、20体すべてを寺外で展示する初めての機会です。本尊の十一面観音菩薩坐像は像高が3メートルもある圧巻の作品で、普段 は大きく重い扉に閉ざされる秘仏です。他にも、11体の観音や、どこか親しみのある毘沙門天立像、文治3年(1187)に造られたこと が知られる貴重な地蔵菩薩坐像など、櫟野寺に伝わる平安彫刻の傑作を一時にご覧いただける展覧会です。

櫟野寺1

櫟野寺2
重要文化財 十一面観音菩薩坐像  平安時代・10世紀  滋賀・櫟野寺蔵

◆木造十一面観音坐像(秘仏)
像高3mを超す大観音で、重要文化財に指定された十一面観音菩薩坐像では日本最大です。頭と体は一本の大木から彫り出されます。木の重さが伝わってくるような重厚な姿ですが、美しく整った顔を仰ぎ見ると心が癒されます。迫力と穏やかさがともにみられる表現は、10世紀の仏像の特徴です。

今から1200年前、比叡山開祖の伝教大師最澄上人が、根本中堂建立のため用材を求め、当地に来錫の折、櫟の巨木に霊夢を感じ一刀三礼のもと立木に刻まれたと伝わる、我が国最大を誇る坐仏の十一面観音さまです。(当寺HPから)

櫟野寺9
重要文化財 薬師如来坐像  平安時代・12世紀  滋賀・櫟野寺蔵

◆木造薬師如来坐像(甲賀三大仏)
左手に薬壺をもち、病気平癒をつかさどる薬師如来像です。本尊よりは小さいものの、仏像に求められる理想的な大きさである周丈六(しゅうじょうろく)を基準に表された像高2.22mの大作で、その穏やかな表現は、都の大仏師、定朝(じょうちょう)の作風を模範とする定朝様に倣います。最澄が開創した延暦寺根本中堂の本尊は薬師如来であり、いかにも天台宗の古刹、櫟野寺にふさわしいみほとけといえます。

櫟野寺の筆頭末寺であった、油日岳奥の院 詮住寺の本尊と伝わります。 作風は、定朝様の寄せ木造りで平安時代後期の周丈六仏です。台座、光背も当時のものが残る滋賀県下最大のお薬師さまです。 (当寺HPから)

櫟野寺3
重要文化財 薬師如来坐像

櫟野寺11
重要文化財 地蔵菩薩坐像  平安時代・文治3年(1187) 滋賀・櫟野寺蔵

◆木造地蔵菩薩坐像
地蔵菩薩は、釈尊が入滅したのち、弥勒がこの世にあらわれるまでの56億7千万年という長い間、我われを救って歩くという役目をもっており、古くより信仰されてきました。本像は像内の銘文から、文治3年(1187)に造られたことがわかります。仏師運慶らによって写実的な仏像が造られるようになった頃ですが、櫟野寺周辺ではまだこのように、平安風で穏やかな姿の像が造られていました。

櫟野寺末寺の地蔵院寛澤寺の本尊で、体内に文治三年(一一八九)の銘記があります。 このお地蔵さまは、腹帯を結んでおられるため、安産のお地蔵さまとして信仰され、地元では、お地蔵さまから腹帯を授かる風習が残っています。 (当寺HPから)

櫟野寺4
地蔵菩薩坐像

櫟野寺10
重要文化財 毘沙門天立像  平安時代・10~11世紀  滋賀・櫟野寺蔵

◆木造毘沙門天立像
平安時代の初めに坂上田村麻呂が鈴鹿山の山賊の追討を櫟野寺で祈願し、それが叶うと毘沙門天像を造って安置したといいます。この像は10~11世紀頃に造られたものですが、目をつり上げ、口をへの字に歪める表情にはどこか親しみをおぼえます。腹部に表された奇妙な顔にも注目してください。

この毘沙門天さまは、征夷大将軍坂上田村麻呂公、等身大(五尺八寸)の御分身と伝わる尊像で、寺伝では、櫟野観音の加護により鈴鹿山の山賊平定の報恩のために本尊守護のために祀ったと伝わります。 特に江戸時代には、田村麻呂公の信仰が盛んとなり、鈴鹿山麓の田村麻呂公を祀る田村神社と櫟野寺の二社寺を詣でる田村参りが盛んに行われました。 (当寺HPから)

櫟野寺6
毘沙門天立像

櫟野寺5
重要文化財 観音菩薩立像  平安時代・10~11世紀  滋賀・櫟野寺蔵

◆観音菩薩立像
櫟野寺には、本尊の十一面観音菩薩坐像をはじめ、10世紀~12世紀にかけて造られた観音菩薩が現在も複数残されています。このことは、観音への信仰がこの地に深く根ざしていたことをものがたっています。本像はそのなかでもすぐれたできばえの像で、切れ長の目など表情には厳しさがありますが、細身に表された体つきは優美です。

櫟野寺7

滋賀県甲賀市に位置する天台宗の古刹、櫟野寺は、延暦11年(792)に最澄が延暦寺の建立に際して良材を求めて当地を訪れ、櫟(いちい)の霊木に観音像を刻んだことがその始まりと伝えられます。鈴鹿山脈に連なる油日岳の山麓に位置し、すぐ近くを琵琶湖に注ぐ杣川(そまがわ)が流れるという立地は、世俗を離れ比叡山中で修行した最澄が、良材を求めた場所としてふさわしく感じられます。
征夷大将軍の坂上田村麻呂が山賊追討の祈願成就をよろこび、堂塔を寄進したとの伝承も残ります。また、白州正子氏が「かくれ里」とも呼んだこの櫟野(いちの)の地には、櫟野寺を拠点として数多くの天台寺院が建立され、豊かな仏教文化が花開いたのでした。秘仏本尊の十一面観音菩薩坐像はその制作が10世紀後半に遡るため、そのころには櫟野寺が甲賀における仏教文化の中心であったことが知られますが、本尊含め重要文化財に指定される平安仏は20体にも及びます。これら平安仏が林立する光景を前にすれば、かつて末寺として七坊を誇ったという名刹、櫟野寺の栄華がしのばれるでしょう。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1779#top
櫟野寺12

作品リスト

※ No.は、会場内での番号と一致しますが、展覧会カタログの番号とは一致していません。展覧会カタログ(図録)番号は備考欄に記載しています。
※ 作品は全て、滋賀・櫟野寺蔵です。
※ 重文は重要文化財を表わします。
※ 展示作品および展示期間は都合により変更される場合があります。

No. 指定 作品名称 員数 時代・世紀 備考
1 重文 十一面観音菩薩坐像 1軀 平安時代・10世紀 図録番号 1
2 重文 毘沙門天立像 1軀 平安時代・10~11世紀 図録番号 4
3 重文 地蔵菩薩立像 1軀 平安時代・10世紀 図録番号 6
4 重文 吉祥天立像 1軀 平安時代・10世紀 図録番号 7
5 重文  観音菩薩立像 1軀 平安時代・11~12世紀 図録番号 10
6 重文 観音菩薩立像 1軀 平安時代・11~12世紀 図録番号 11
7 重文 観音菩薩立像 1軀 平安時代・10~11世紀 図録番号 8
8 重文 十一面観音菩薩立像 1軀 平安時代・10~11世紀 図録番号 9
9 重文 薬師如来坐像 1軀 平安時代・12世紀 図録番号 2
10 重文 観音菩薩立像 1軀 平安時代・10世紀 図録番号 5
11 重文 観音菩薩立像 1軀 平安時代・12世紀 図録番号 15
12 重文 観音菩薩立像 1軀 平安時代・12世紀 図録番号 13
13 重文 観音菩薩立像 1軀 平安時代・12世紀 図録番号 14
14 重文 観音菩薩立像 1軀 平安時代・12世紀 図録番号 16
15 重文 十一面観音菩薩立像 1軀 平安時代・12世紀 図録番号 17
16 重文 地蔵菩薩坐像 1軀 平安時代・文治3年(1187) 図録番号 3
17 重文 十一面観音菩薩立像 1軀 平安時代・12世紀 図録番号 18
18 重文 地蔵菩薩立像 1軀 平安時代・12世紀 図録番号 19
19 重文 吉祥天立像 1軀 平安時代・11~12世紀 図録番号 12
20 重文 吉祥天立像 1軀 平安時代・12世紀 図録番号 20

(参考)

近江マップ
http://www.biwako-visitors.jp/shinbutsuimasu/shinbutsu/list.php#

櫟野寺13

櫟野寺14
櫟野寺 薬師如来坐像

櫟野寺15 大池寺
大池寺 釈迦如来坐像

近江鉄道水口駅の北西約1.2km、丘陵に囲まれた閑静な地にある臨済宗妙心寺派の寺院です。寺伝では、奈良時代末期にこの地を訪れた行基が、現在も寺の周囲にある4つの大きな溜め池「心字(しんじ)の池」を造り、そのほぼ中央に本堂を立てたのが寺の始まりとされています。寺名もこのことに由来しています。「心字(しんじ)の池(いけ)」はその後、一千年以上にわたって(いけ)灌漑(かんがい)用水として周囲の水田を潤してきたといいます。
 長い刈り込み垣に挟まれた参道を行くと、山門と白壁の塀が目をひきます。境内には本堂のほか、書院・茶室・庫裏(くり)などが立っています。本堂の床は四半畳敷きの瓦で珍しく、行基(ぎょうき)の作と伝えられる釈迦如来像が安置されています。
 また、書院の東側に、ある蓬莱(ほうらい)庭園は、江戸時代に水ロ城を築いた小堀遠州(こぼりえんしゅう)の手によるものといわれ、四季それぞれにすぐれた趣をみせてくれます。

【大池寺庭園】
 禅寺である大池寺書院の蓬莱(ほうらい)庭園。サツキの大刈込み鑑賞式枯山水(かんしょうしきかれさんすい)庭園で、江戸時代に水口城を築城した小堀遠州(こぼりえんしゅう)が作庭したと伝えられています。
 書院の正面にある2段大刈込みは、海の大波小波を表し、真っ白い砂の上に宝船を浮かべた姿を表現しています。その中に、様々な刈込みを用いて七福神が乗っているように象徴している様子は、実に見事です。また、書院に続く茶室前から見える蓬莱山の石組みも美しいです。
 5月下旬から6月中旬にかけてはサツキなどの花が一斉に咲き乱れ、8、9月は、刈込みの線条美が一段と冴えて幽玄流麗な景色になり、秋は紅葉、冬は紫褐色に染められ、四季を通じて趣のある鑑賞ができます。
http://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/475

櫟野寺16
十楽寺 阿弥陀如来坐像
http://www.jyurakuji.jp/index.php?data=./data/l8/

http://www.fdi.ne.jp/kokadaibutu/index.html

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