大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

東大寺 よみがえる仏の大宇宙

東大寺大仏3

NHKのBS深夜番組で、「東大寺 よみがえる仏の大宇宙」を見た。

http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010743_00000

【以下はNHKの番組案内からの引用】

天平時代、聖武天皇の発願により築かれた東大寺。幾たびもの戦乱に巻き込まれ、創建当初の大仏や建物は失われた。天平時代の寺や仏像の調査を基に、創建当初の大仏を30分の1のサイズで、当時の製造方法を用いて再現。また100メートルもの七重塔がそびえていた大伽藍(がらん)や、巨大な仏像が林立していた極彩色の大仏殿内部を、デジタル技術で再現する。リポーターは演出家の宮本亜門。語り:森田美由紀

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3599/2315723/index.html
東大寺大仏images

これはDVDで「東大寺 ~よみがえる仏の大宇宙 [DVD]」として 販売されており、その解説が詳しい。

https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA-~%E3%82%88%E3%81%BF%E3%81%8C%E3%81%88%E3%82%8B%E4%BB%8F%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%AE%87%E5%AE%99-DVD-%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E4%BA%9C%E9%96%80/dp/B000R1AAFC

【以下はAmazonからの引用】

NHK BS hiで放映された特別番組をDVD化。世界最大級の木造建築物であり、世界最大級の木造鋳造物=大仏を蔵する奈良の東大寺。古来の信仰と謎に満ちたその大宇宙を、演出家・宮本亜門がデジタル技術で再現した東大寺の映像などを元に紐解く。

東大寺大仏殿そして大仏。
今は失われた天平創建当時のその姿を、最新のデジタル技術と当時の製造方法を用いて再現する。
1250年のときを経て、荘厳な仏の宇宙が今よみがえる。
(NHK BS-hiにて2006年12月11日に放送)

演出家・宮本亜門がナビゲーターとなり辿る復元プロジェクト。
「なぜ仏様がこれほど美しいのか」という想いを胸に、人間の叡智と精神から生まれる永遠の美しさを伝える。
古都、奈良を象徴する東大寺。
「奈良の大仏」として親しまれる国宝・盧舎那仏坐像を本尊とする華厳宗大本山である。
歴史的にも文化的にも貴重な建造物であり、1998年に世界遺産 に登録されている。
しかし、その東大寺の建造物には今なお謎が多い。
聖武天皇によって天平時代に創建されたが、大仏は大部分の建築物とともに焼失してしまった。
現在の大仏は、鎌倉時代と江戸時代に再建されたものである。
聖武天皇の没後1250年にあたる平成18年は、東大寺では盛大な法要が営まれると同時に、東大寺のオリジナルの姿、極彩色の仏像が立ち並ぶ「荘厳な仏の大宇宙」を復元する試みが行われた。
本作では往時の姿を最新のテクノロジーによって現代によみがえらせ、あらためて東大寺や大仏を検証する。
天平の大宇宙と呼べる空間、そして人々の信仰を紐解き、奈良の東大寺の全貌を映し出す。
復元プロジェクトの目玉は、かつては大仏を含む7体の巨大仏が林立していたという大仏殿のCG化。
最新の研究成果を通して細部まで再現する。鮮やかな文様な仏画までも甦らせる。

<内容>
・プロローグ 天平の大仏と大仏殿を復元する
・平成18年 聖武天皇1250年忌
【謎1 大仏はどんな姿だったのか パート1】
【謎2 大量の銅をどこで確保したのか】
【謎1 大仏はどんな姿だったのか パート2】
・1260年ぶりの燃灯供養
【謎3 大仏を囲んだ謎の巨大仏とは】
【謎4 どのように銅は採り出されたのか】
【謎5 どのように鋳造は行われたのか】
【謎6 なぜ大勢の人を動員できたのか】
・開眼から続く修二会
・鋳造の完遂
【謎7 天平の大仏殿の姿とは】
・大仏復元プロジェクト完遂
・未完成で行われた開眼供養会
・完成した天平大仏殿
・エピローグ 万燈供養会

特典映像:影絵劇 大仏建立物語

東大寺大仏images

以下では、若干の感想を付しておきたい。この番組は良くできていると感心した。特に、1/30のスケールの大仏復元プロジェクトは見ごたえ十分で、多くの人たちの手をへて作像される過程は感動的ですらあった。その一方、為政者の捉え方には疑問を禁じえなかった。

東大寺大仏

東大寺は大きな寺である。見どころも数知れず。大仏殿の前の八角灯籠火袋音声菩薩は目立たないけれど必見のものである。しかし、この温和の表情とは全く異なり、当時の聖武天皇は、一種のノイローゼ状態であり、動員された多くの民は非常な労苦に苦しみ、さらに大仏建立には鉛害という厳しい公害問題が伴った。
番組では、このあたりの事情は一切無視して、聖武天皇の「聖人」君主ぶりが強調されていたが、ここにはいささかならず違和感を感じた。

◆東大寺大仏殿前八角灯籠火袋音声菩薩
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-397.html

東大寺は、聖武天皇がつくった最大、最強の国営寺院である。前身にあたる金鐘寺(こんしゅじ)は古密教の強い影響を受けている。大仏をもって東大寺はその威光を放つが、当初大仏造立は紫香楽宮(滋賀県甲賀寺が措定)で計画された。聖武天皇は天然痘の猛威などの国情の動揺もあり、これを放棄して東大寺での造像を命じた。計画途上での変更であり、それだけでも厖大なる浪費があったことが最近の研究でも明らかになりつつある。
番組でも詳細の紹介があるが、平安時代の絵巻物『信貴山縁起』 (尼君の巻、朝護孫子寺蔵)には聖武天皇が建立した大仏殿の当時のありさまをうかがわせる貴重な絵がある。このクローズアップ映像は本番組の白眉であった。

開眼の導師は菩提僊那だが大仏という「モノ」はできたが、仏法僧の「ひと」たる僧がいなければ鎮護国家はできない。鑑真の入都は大仏開眼の1年後であり、ここに戒壇院ができる。聖武天皇自身に加えて多くの僧が戒を受けた。文字通り「ひと」を得てこれではじめて鎮護国家の体裁が整うこととなる。

東大寺大仏images

◆大仏関連年表

天平13年(741年) - 聖武天皇による国分寺建立の詔
天平15年 - 聖武天皇による大仏造立の詔
天平16年 - 甲賀寺において、大仏造立開始
天平17年 - 恭仁京から平城京へ遷都

天平勝宝4年(752年) - 大仏開眼供養
天平勝宝7歳 - 戒壇院建立

承和3年(836年) - 空海、真言院を創建。
斉衡2年(855年) - 大仏の頭部落つ、同年修理。
保安元年(1120年) - 大宰府の観世音寺、東大寺の末寺となる。
治承4年(1180年) - 平重衡による南都焼討。東大寺、興福寺は大被害。
文治元年(1185年) - 大仏落慶供養。
建久6年(1195年) - 東大寺総供養。

永禄10年(1567年) - 東大寺大仏殿の戦い、大仏殿や大仏など東大寺大被害。
永禄11年(1568年) - 山田道安による大仏頭などの修復、清玉による勧進はじまる。
天正11年(1583年) - 西大門が倒壊。
慶長11年(1606年) - 中御門が焼失。
寛文7年(1667年) - 二月堂焼失。
元禄元年(1688年) - 公慶による大勧進、復興始まる。
元禄5年(1692年) - 大仏開眼供養。
明治元年(1868年) - 神仏分離令
明治5年 - 浄土宗に組込まれる。
明治12年 - 大仏殿修造開始。
明治16年 - 華厳宗として独立。
大正4年(1915年) - 大仏殿修理落慶供養。
昭和48年(1973年) - 昭和大修理開始。
昭和55年(1980年) - 昭和大修理なる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

東大寺大仏images

大橋 一章・ 斎藤理恵子 編著『東大寺―美術史研究のあゆみ』(里文出版  2003年)では多くの研究成果が紹介されている。しかし、寺の協力を仰げば仰ぐほど、寺の権力構造の暗部は書きにくいこともあろう。東大寺は先に指摘したとおり、最大、最強の国営寺院として建立された。しかし、それゆえの強い桎梏などもあったであろう。インサイダーとは言わないが、内実を知る者の発言は重い。狭川 普文『東大寺物語―シルクロードの終着駅・奈良』(フジタ  1985年)はこうした視点では面白く読める。

◆狭川 普文氏について
http://www.asahi.com/articles/ASJ283J37J28POMB008.html

東大寺大仏2

ものごとにはすべて功罪があり、作用・反作用がある。聖武天皇の強迫観念にも近い思い入れがなければ、当時において民を疲弊させた「身の丈をわきまえない」大仏建立という国家事業はありえなかった。それによって奈良の平城京自体の運営が傾いた。だが、反作用の振り子は平安京への遷都という別の権力構造を導く。

東大寺はじめ南都六宗は、新興勢力たる密教に国教の地位を奪われるが、東大寺の大仏は厳然として残った。その後の歴史を見ても、日本唯一の大仏があったからこそ、その保持のために東大寺は残った面もある。もちろん後世、重源、公慶といった傑僧がでて必死の勧請をし、多くの関係者の努力なくして東大寺の今日の存立はありえなかっただろう。しかし、そうした傑僧を生み出す力も大仏の人知の及ばぬ超越的エネルギーゆえであったかも知れない。

そして、造東大寺司は滅びても南都で慶派が彗星のように出でて鎌倉彫刻の黄金時代を築く。

◆造東大寺司
https://kotobank.jp/word/%E9%80%A0%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%8F%B8-848024

◆重源と快慶ーその絆と気脈
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-426.html
東大寺大仏3(拡大)

東大寺二月堂本尊




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