大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

西大寺 小考1 南都七大寺

西大寺東塔跡と本堂(重要文化財)

【南都七大寺】

西大寺は南都七大寺の一つ。その七大寺とは、通常は興福寺(奈良市登大路町)、東大寺(奈良市雑司町)、西大寺 (奈良市西大寺芝町)、薬師寺(奈良市西ノ京町)、元興寺(奈良市中院町、芝新屋町)、大安寺(奈良市大安寺)および法隆寺(生駒郡斑鳩町)と言われる。
このうち、いまも大伽藍ないし多くの第一級の多くの宝物誇るのが、興福寺、東大寺、薬師寺、法隆寺の四寺であり、大安寺、元興寺および西大寺の三寺は没落の憂き目にあっている。
今回の西大寺展で面白いのは、この没落組の西大寺をはじめとする多くの寺院の連携である。今回の展示会に先立って、いまから四半世紀以上も前の1991年にも、奈良西大寺展が大規模に開かれたが、「真言律宗一門の秘法公開」と銘打たれ、今回同様、各寺院が集っている。

【真言律宗】

西大寺の興正菩薩叡尊を中興の祖とする宗派であり、真言宗の開祖、空海を特に仰いでいる。「叡尊は荒廃した既存仏教に対する批判から律宗の覚盛とともに、これまで国家が定めた手続きによる方法しか認められていなかった出家戒の授戒を自らの手で行った(自誓授戒)。その後、戒律に対する考え方の違いから覚盛と一線を画するが、彼の依頼による西大寺再興を引き受けて、続いて海龍王寺・法華寺・般若寺などの再興に従事して、朝廷の許可なくして独自の戒壇を設置した。続いて弟子の忍性が登場して叡尊が十分に達せられなかった民衆への布教に才覚を示して、鎌倉に極楽寺を建立した。」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%BE%8B%E5%AE%97

つまり、西大寺をはじめとして、海龍王寺、法華寺、般若寺、極楽寺(鎌倉)が同宗派のコアということになる。次に由緒寺として、放生院(京都府宇治市)、岩船寺(京都府木津川市)、浄瑠璃寺(木津川市)、不退寺(奈良市)、元興寺極楽坊(奈良市)、元興寺小塔院(奈良市)、白毫寺(奈良市)、額安寺(奈良県大和郡山市) などがある。こうしてみてくると、確かに大寺ではないけれど、ユニークで至宝をもつ寺院が名を連ねていることがわかる。

【元興寺】

さて、ここで南都七大寺の一つである元興寺がふたたび登場する。「日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、 蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、 新築移転されたのが、元興寺 (佛法元興の場、聖教最初の地)である」(元興寺HP)という最も正統なる歴史をもつ大寺は、儚く没落するだけでなく、多くの文物は南都の他の寺へ移管され、いわば解体されてしまう。その後の数奇な変遷もほかの都七大寺にはないものである。

「飛鳥時代以来、伝統の三論宗、(『大安寺流』に対し『元興寺流』)と法相宗(興福寺の北寺伝『御蓋流』に対し南寺伝『飛鳥流』)が主に学問されていたが、平安中期には衰えてしまう。むしろ真言宗に属する多くの僧を輩出した。
その後、伽藍は荒廃し、堂塔が分離してゆくことになる。中でも伽藍の中央部、金堂、講堂など中枢部の北に当たる僧坊の地域に、東室南階大房が十二房遺って、その一室が特に極楽坊と呼ばれるようになる。この場所は奈良時代の元興寺三論宗の学僧智光法師が居住した禅室で、我が国浄土三曼荼羅(智光、当麻、清海)の随一である智光曼荼羅(掌中示現阿弥陀如来浄土変相図)発祥の地とする信仰が生まれた。
極楽坊では嘉応3年(1171)頃から盛んに百日念仏講が営まれ、南都の別所的役割を担ったようである。その後、高野聖西行法師が極楽房天井の改築勧進を行ったとか、東大寺戒壇院の圓照実相上人が僧房改築の勧進をしたとか、西大寺信空慈道上人が僧房修理のため南市で勧進を行ったとか伝わる。要するに、遁世僧や律僧の大切な道場として再出発したようである。
治承4年(1180)平重衡の南都焼き討ちによって、興福寺大乘院(今の奈良県文化会館あたり)が焼失し、元興寺禅定院に寄生した事によって、特に極楽坊は大乘院が支配することになり、住持は光圓上人を初代としてその法流が八代続いた。
寛元2年(1244)には極楽房を中心に大改築が行われ、元興寺極楽坊本堂(極楽堂)と禅室(春日影向堂)の二棟に分離された。この事から極楽房は東向き(旧元興寺は南向き)の独立的な寺院となったようである。
さらに、文永五年(1268)には約5,000人に及ぶ道俗の勧進からなる聖徳太子立像(十六才孝養像)、弘安年間に弘法大師坐像が造立され、聖徳太子と弘法大師に係わる寺院としての性格を確立していった。この時点で、恐らく西大寺叡尊思円上人や東大寺聖守中道上人の影響を多大に受けたようである。」(元興寺HP)

【興正菩薩叡尊との関係】

ここまできて、叡尊が登場する。西大寺を再興させた叡尊が、民衆信仰の基盤のもと元興寺についてもコミットするのである。

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