大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

空海と運慶 1

運慶 円城寺

1.円成寺

円成寺の有名な大日如来坐像。運慶初期の秀作である。その円成寺とは? 以下は同寺のHPからの引用

「創建については諸説あります。当山に伝わる『和州忍辱山円成寺縁起』(江戸時代)によると、天平勝宝8年(756)聖武上皇・孝謙天皇の勅願で、鑑真和上の弟子、唐僧虚滝和尚の開山であるとされていますが、同書のなかで中興の祖とされている命禅上人が、万寿3年(1026)、この地に十一面観音像を安置したのが始まりのようです。
天永3年(1112)には、「小田原聖」と呼ばれた経源(迎接上人・京都南山城の随願寺もしくは浄瑠璃寺の僧)が、阿弥陀堂を建て、阿弥陀如来像を安置し、仁平3年(1153)、広隆寺別当、東寺長者、高野山管長、東大寺別当を歴任した京都御室仁和寺の寛遍上人が忍辱山に登り、真言宗の一派忍辱山流を始めるに及び当山の基礎が築かれました。」
http://www.enjyouji.jp/about/index.html

真言宗の開祖は空海。運慶の実質デビュー作は真言宗の最高神、大日如来坐像であり、それを定めたのは空海である。

2.寛遍上人

円成寺の大日如来坐像は安元2年(1176年)に完成したとされる。運慶の生年は不詳だが、二十歳頃からの作像との説がある。仮に1150年頃の生まれとすれば、勧進元の上記、寛遍上人から父康慶には直接の依頼があったかも知れない。また、寛遍およびその後継からの影響をうけて造像が行われた可能性は高いだろう。以下は、寛遍上人についての引用。

「寛遍(かんぺん、康和2年(1100年) - 永万2年6月30日(1166年7月28日))は、平安時代後期の真言宗の僧。父は大納言源師忠。尊勝院大僧正・忍辱山大僧正とも称される。
山城国円教寺の寛蓮に師事して出家し、寛助に灌頂を受けた。その後大和国忍辱山円成寺を再興し、一字金輪法を日課とした。広隆寺別当・東寺長者・東寺法務・東大寺別当・仁和寺別当・円教寺別当を歴任し、1161年(応保元年)大僧正に至った。この間には、高野山大塔落慶供養の導師をつとめ、また、尊寿院を建立し、鳥羽天皇の皇后美福門院(藤原得子)が寄進した「御手印縁起」を尊寿院におさめた。事相にすぐれ、その後忍辱山流の祖とされる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E9%81%8D

寛遍は真言宗の高僧であり、空海の教えを継ぐ者であったことがわかる。かつ、広隆寺、東寺、東大寺、仁和寺、円教寺、高野山と深き関係があったとされる。その後の運慶の足跡とかさなる有力寺院がここに含まれている。

3.東寺(教王護国寺)

運慶と東寺との関係。運慶は建久8(1197)年5月から翌年9月にかけて、文覚上人の勧進により、数十人の小仏師を率いて東寺講堂の五仏・五菩薩・五大尊・梵天・帝釈天・四天王像の大修理を行った。いかに東寺との関係が深かったかを知ることができる。その東寺については言わずとしれた空海の創建である。以下は引用。

「東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%AF%BA

4.文覚上人

文覚は源頼朝と寝食を共にした、鎌倉幕府成立に深くかかわった武士にして真言宗僧侶。ここでは、源頼朝―文覚―運慶を線で結んでおこう。文覚の関係寺院として、以下も参照。

「頼朝が平氏や奥州藤原氏を討滅し、権力を掌握していく過程で、頼朝や後白河法皇の庇護を受けて神護寺、東寺、高野山大塔、東大寺、江の島弁財天など、各地の寺院を勧請し、所領を回復したり建物を修復した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E8%A6%9A

5.高野山(金剛峰寺)

高野山には運慶の有名作が保管されている。以下を参照。
http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/cyokoku.html

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