大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

国宝 法隆寺金堂展

法隆寺の壁画images

「国宝 法隆寺金堂展」(2008年6月14日~7月21日/奈良国立博物館)に行く。

 法隆寺金堂について、2004年の調査(奈良文化財研究所)によれば、金堂の天井板の用材の伐採年は、スギが667(天智6)年頃、ヒノキが688(持統2)年頃と推定されるという。用材は伐採後、暫し「寝かせて」使うことが多いから、金堂建立は688年以降のいずれかのタイミングということになろう。これは、それ以前の建築史などからの研究との関連でも妥当性は高いとされる。なお、『七大寺年表』を引用典籍とすれば、「詔により法隆寺が再建」されたのは708(和銅元)年となる。
 一方、今日、金堂の再現壁画12面を見る。驚きであった。そのスケールの大きさ、オリエンタルで濃厚な表現ぶりは、メインの展示物たる飛鳥時代の「生硬」な表情の四天王像とは随分と異質な印象であり、四天王は明らかに、金堂建立後、別の堂宇から移設された客仏であろうと思った。
 あえて、この大振りにして鷹揚、品格ある壁画群とイメージが重なる現存の仏様といえば、薬師寺の三尊、聖観音像であろうか。『薬師寺縁起』で薬師寺が西の京に移建されたのは718(養老2)年とされ、さきの『七大寺年表』との時代差は約10年。時代は十分接近する。
 もしも、今日、金堂の壁画が焼失しなかったとしたら、現代の科学をもってすれば本当に様々なことが明らかになったかも知れない。保田與重郎の厳しい指摘が思い出される。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-68.html

 さて、四天王像である。4体が一同に会し「四方」からの照明も行き届き、近くで拝観できることは実に得難いながら、それは奈良博や大宝蔵院の法隆寺特別拝観でも一部はかなえられてきたとは言える。しかし今回の衝撃はその「背面」だった。一点の曇りもない微細を極める技法、意匠をみた観察者は「正面観賞性」といった過去の無理強いの理論をなんとも笑止と思うことだろう。それは最近の薬師寺展での感想と同じである。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-69.html 

四天王像をじっと見て瞼に焼き付け、その印象をもったまま、釈迦三尊も同じ日に見たくなって帰路、法隆寺に寄る。上御堂で拝観するのは今回で3回目だが、見るたびに新しい発見がある。もう少し考えを「凝着」させてから記してみたいが、「初回」の印象は以下のとおりである。
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-58.html

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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  • 2008/07/13(日) 08:18:03 |
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