大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

興福寺阿修羅像1<阿修羅とはなにか>

阿修羅像2

 いよいよ阿修羅展が東京国立博物館で開催される。人波をなるべく避けていつ行くか、悩めるところだが、個々の仏様は、もう何度も奈良ではお目にかかっている。ここでは今回の拝観の前に、いくつかのメモを書いておきたい。

 まず、阿修羅とはどういうものかを考えてみよう。鹿島昴『日本神道の謎ー古事記と旧訳聖書が示すもの』(光文社 1985年)がまず第一のテクストである。古代オリエントには、バアル、エル、アシュラ(ないしアシェラ)という神の淵源があった。この系譜はヒッタイト・ミタンニ(インドラ)に伝えられ、エルとバアルとなり、さらにヒンズー(インドラ)をへて 仏教では帝釈天につながっていくという(<鹿島>p.190系統図を参照)。
 古代オリエントからフェニキア(ユダヤ)に伝えられた神はアシェラとバアルであり、アシェラは海の女神、バアルは精力的な男神であったという。
 本書では、興味深い3つの視点が提起されているように思う。
①アシュラは本来、神の淵源に位置する大変有力なものであったこと、②しかし、征服・被征服の過程でその役割が変容したこと、さらに、③仏教では帝釈天がこの神の正当な「後継者」となったことである。

 次に、手元の佐和隆研編『仏像案内』(吉川弘文館 1963年)を見てみよう。ここでは「インド固有の神で、古くは呼吸の神とも非天の義とも解されたが、後には八部衆の一、六道中阿修羅道の主として戦闘の神に擬せられる。特に帝釈天との闘争が熾烈をきわめたことは有名である」(<佐和>p.93)。
 その帝釈天は「釈堤桓因(シャダイカンイン)とも呼び、梵天などとともにインド古代神話中の代表的な神インドラのこと。とくにヴェーダ神話に賛美の対象となった・・」(同p.97)とある。こちらは、釈迦を助ける善神で、アシュラはこの敵役という位置づけである。

 仏教における八部衆が、「マニュアル」化されたのは密教以前の法華経、「仁王経疏」らの経典(同p.91)あたりのようだから、儀軌にみる阿修羅の位置づけは比較的、新しいことになる。

 さて、興福寺八部衆のなかにあって、阿修羅はそのお姿がほかの仏様とくらべても極めて独特であり、また、その美しい尊顔は少年のものなのか、少女のものなのか(あるいは両性具備か)はいまだに謎である。しかし、上記2書を結合して読むと、興福寺阿修羅像の造像者ないし発願者が相当な知識をもち、女神として見ていても不思議はないようにも思われてくる。
 弥勒信仰がそうであったように、この時代の阿修羅信仰も法隆寺塑像にも共通し、特別な高い地位にあったかも知れないと思うのは穿ちすぎであろうか。少なくとも、はるかに後代の儀軌に即して解釈するよりは想像力がはたらき面白いと思うが如何。


興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」 平成館 2009年3月31日(火)~6月7日(日)

奈良・興福寺の中金堂再建事業の一環として計画されたこの展覧会では、天平伽藍(てんぴょうがらん)の復興を目指す興福寺の貴重な文化財の中から、阿修羅像(あしゅらぞう)をはじめとする八部衆像(国宝)、十大弟子像(国宝)、中金堂基壇から発見された1400点をこえる鎮壇具(国宝)や、再建される中金堂に安置される薬王・薬上菩薩立像(重要文化財)、四天王立像(重要文化財)など、約70件を展示いたします。特に、八部衆像(8体)と十大弟子像(現存6体)の全14体が揃って寺外で公開されるのは、史上初めてのことです。

 阿修羅像は天平6年(734)、光明皇后(こうみょうこうごう)が母橘三千代(たちばなのみちよ))の1周忌供養の菩提を弔うために造像して以来、戦乱や大火など幾つもの災難を乗り越えてきました。1300年の時を超えて大切に守り伝えられた、日本の文化といにしえの人々の心に触れる機会となれば幸いです。また、橘夫人(たちばなぶにん)の念持仏(ねんじぶつ)と伝えられる阿弥陀三尊像(国宝、奈良・法隆寺蔵)も特別出品いたします。
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6113

国宝 阿修羅立像(八部衆のうち) 1躯
脱活乾漆造、彩色 奈良時代 天平6年(734) 奈良・興福寺蔵

阿修羅像はもと興福寺西金堂に釈迦三尊、梵天・帝釈天、四天王、十大弟子像などとともに安置されていた八部衆のうちの1体です。この堂は光明皇后が前年の1月に亡くなった母橘三千代の一周忌に間に合うように創建したものですが、皇后に仕える役所であった皇后宮職をあげての仕事であり、光明皇后の強い意志が感じられます。
3つの顔と6本の腕をもつ少年のような可憐な像ですが、胴体も腕もとても細く、憂いのある敬虔な表情が脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)の技法でとてもリアルに表現されています。阿修羅はインド神話では軍の神で、激しい怒りを表すのが一般的ですが、興福寺の像に激しさはどこにも見られません。
阿修羅像は、当時、唐からもたらされた『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』をもとに作られたと考えられます。そこには、これまでの罪を懺悔して、釈迦に帰依することが説かれています。阿修羅の表情は静かに自分の心を見つめ懺悔する姿を表したものと考えられます。
http://www.asahi.com/ashura/exhibition/2.html

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