大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

奈良 西大寺展 創建1250年記念 「叡尊と一門の名宝」 を観る

西大寺東塔跡と本堂(重要文化財)

西大寺は9年前にゆっくりと拝観した。秋篠寺のあとに行ったが、そのときの記憶は鮮明に覚えている。

http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-67.html

今回は三井記念美術館で上記の展示会を観る。

【以下*は公式ガイドから一部引用】

*西大寺の創建は天平神護元年(765)。光明皇太后の信任を得て淳仁天皇を擁立し権力を握った藤原仲麻呂と孝謙上皇との抗争(恵美押勝の乱)鎮定を祈願して、称徳天皇(孝謙上皇重祚)が造営した。 乱の鎮定後、今度は、僧道鏡が天皇の寵愛を受けて権力を握り、皇位を狙うが失脚。政情は大いに動揺し、やがて都は長岡京を経て平安京に移る。 西大寺は、鎮護国家仏教として栄えた南都六宗の都、平城京最後のきらめきとして残されることになった。

➡ 偉大な父母ゆかりの東大寺、対してその娘、称徳天皇(孝謙上皇重祚)が建立したのが西大寺。道鏡とのスキャンダルは、あまりにも有名だが、西大寺の縁はその点でもやや格調に欠ける。

西大寺 塔本四仏坐像
「塔本四仏坐像」のうち「釈迦如来坐像」「阿弥陀如来坐像」(奈良・西大寺)

*西大寺には創建後間もなく東塔・西塔の2基の塔が建てられました。この4軀の如来坐像は、そのいずれかの塔の初層(1階)に安置されたと伝えられています。奈良時代後期を中心に流行する木心乾漆の技法により制作されています。西大寺創建に近い時期までさかのぼり、4軀まとまって伝わる貴重な仏像です。各像の名称は後世のものと考えられます。

*都が平安京に移された後、奈良の寺社は苦難の時代を迎え、創建直後にバックボーンを失った西大寺の状況は深刻だったが、鎌倉時代に中興の祖、叡尊が登場する。 若くして真言密教を学んだ叡尊は西大寺に入り、寺を伝統的な律宗の教えと密教を組み合わせた「密・律兼修の道場」とした。
僧侶や市民の集う「光明真言会」を創始、救済事業を進めるなど精力的に活動し、その教えは大いに広まった。 叡尊はそのかたわら、愛染明王坐像や本尊釈迦如来立像、大黒天像などの造立を発願し、「大茶盛」を始めるなど、西大寺独特の文化をつくり上げた。

➡ 零落した南都六宗の名刹を復興した叡尊は、真言宗と律宗の双方をその根底におく。「平安時代末期から鎌倉時代には実範・明恵が戒律復興を論じ、それを引き継いで嘉禎2年(1236年)覚盛・有厳・円晴・叡尊の4人が国家と結びついた戒壇によらない自誓受戒を行った。後に覚盛は「四分律」を重視して唐招提寺を復興して律宗再興の拠点としたのに対して、叡尊は西大寺を拠点に真言宗の『十誦律』を中心とした真言律宗を開いた。更に京都泉涌寺の俊芿が南宋より新たな律宗を持ち帰った。このため、俊芿の「北京律」と「南都律」と呼ばれた唐招提寺派・西大寺派(真言律宗)両派の3つの律宗が並立した。この3派の革新派を新義律と呼称して、それ以前の古義律と区別することがある。しかし、結果的にこの新義律3派が議論と交流を重ねることで律宗の深化と再興が進み、中世には禅宗と律宗を合わせて禅律とも呼ばれて重んじられた。室町時代には禅宗に押されて再び衰退するが、江戸時代には明忍・友尊・慧雲が出現して再度戒律復興が唱えられた。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E5%AE%97)。
叡尊ゆかりの展示が多いのは以上の背景があるからだが、真言宗が主導した仏像群が、いまに伝えられる西大寺の貴重な財産になる。

西大寺 3
「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)

*愛染堂の秘仏本尊であり、現在も美しい彩色を留めています。宝治元年(1247)叡尊と弟子たちは、西大寺に三宝(仏・法・僧)が永く伝えられることを求めて発願・結縁し、仏師善円(善慶と同一人物)が造立しました。この年は叡尊が僧堂を造営した年に当たり、当初は叡尊が三宝久住の強い願いをこめて僧堂に安置したと考えられています。
愛染堂の秘仏本尊であり、現在も美しい彩色を留めています。宝治元年(1247)叡尊と弟子たちは、西大寺に三宝(仏・法・僧)が永く伝えられることを求めて発願・結縁し、仏師善円(善慶と同一人物)が造立しました。この年は叡尊が僧堂を造営した年に当たり、当初は叡尊が三宝久住の強い願いをこめて僧堂に安置したと考えられています。

西大寺 文殊菩薩騎獅像及び四侍者像
「文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」(奈良・西大寺)

*この形式の五尊像は、中国五台山の文殊信仰に基づくもので、渡海文殊として鎌倉時代に多く制作されました。叡尊は文殊信仰に基づき多くの民衆救済の事業を行っており、文殊菩薩像も造像しています。この像は叡尊の没後弟子たちが発願して造像されたもので、叡尊の十三回忌に完成し、文殊堂の本尊とされました。現在は本堂西脇間に安置されています。

*叡尊の教えは全国各地の多くの寺院にも広がっていった。東国では、叡尊のもとで学んだ忍性が鎌倉を拠点として貧民救済など社会福祉事業や道路・橋梁(きょうりょう)の建設などに尽力し、鎌倉幕府の要人から庶民まで広く信仰を集めた。
畿内や西国でも叡尊に連なる律僧たちが寺院の復興や社会事業に従事し、江戸時代には奈良・生駒に宝山寺を興した湛海らが活躍。
明治期に入ると廃仏毀釈や宗教統制の荒波にさらされるが、教義を貫き法灯を守った。 現在、真言律宗には元興寺、浄瑠璃寺、岩船寺、不退寺、海龍王寺、般若寺、白毫寺、宝山寺など、関西を中心に多くの名刹が名を連ねる。

➡ 西大寺はいまもひっそりと佇む鄙びた古刹だが、元興寺、浄瑠璃寺、岩船寺、不退寺、海龍王寺、般若寺、白毫寺、宝山寺などのうち、浄瑠璃寺などは人気抜群のスポットとなっている。今回に限らず過去においても、これらの寺院が「西大寺展」に協力している。 【“奈良 西大寺展 創建1250年記念 「叡尊と一門の名宝」 を観る”の続きを読む】

奈良 西大寺展 創建1250年記念 「叡尊と一門の名宝」 展示リスト

西大寺

<以下は引用>
南都七大寺の一つである奈良の西大寺は、奈良時代に称徳天皇によって創建された由緒ある寺です。創建1250年を記念する本展覧会は、西大寺に伝わる仏像・肖像彫刻・仏教絵画・密教法具など工芸品の名宝の数々と、元興寺・浄瑠璃寺・白毫寺さらには東国の極楽寺・称名寺など、真言律宗一門の珠玉の美術作品を一堂に展示します。
http://saidaiji.exhn.jp/

<展示リスト:入れ替え制、展示期間注意>
番号指定 名称 作者 数量 時代 所蔵

【展示室1:密教と修法具】

1-1 69 重文 金銅密教法具(五鈷鈴・独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵・金剛盤) 5  鎌倉時代 西大寺
1-2 71 金銅一面器(火舎・花瓶・六器) 1 括 鎌倉時代 西大寺
1-3 117 重文 愛染明王坐像(厨子入) 1 軀 鎌倉時代・永仁5 年(1297) 称名寺(金沢文庫保管)
1-4 76 黒漆光明真言厨子 1 基 鎌倉~南北朝時代 西大寺
1-5 68 金銅大檀具のうち(五鈷鈴・独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵・金剛盤) 5  鎌倉時代 西大寺
1-6 70 白銅密教法具(五鈷鈴・独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵・金剛盤) 5  鎌倉時代 西大寺
1-7 72 白銅打鳴し 2  鎌倉時代 西大寺
1-8 74 金銅金剛盤 1 面 鎌倉時代・正和3 年(1314) 奈良国立博物館
1-9 73 銅独鈷杵1  平安時代 西大寺
1-10 120 金銅密教法具(五鈷鈴・独鈷杵・三鈷杵) 3 鎌倉時代 称名寺(金沢文庫保管)
1-11 75 金銅飯食器2  鎌倉時代 西大寺

【展示室2:戒律と舎利信仰】

2-1 39 国宝 金銅透彫舎利容器 1基 鎌倉時代 西大寺

【展示室3:西大寺の瓦と塼】

3-1 9 軒瓦(創建期)、垂木先瓦、緑釉・褐釉塼 一括 奈良時代 西大寺(奈良文化財研究所保管)

【展示室3(如庵ケース):西大寺の大茶盛式】

3-2 参考 出品大茶盛式の大茶碗1  西大寺

【展示室4:⑴西大寺の創建から平安時代まで】

4-1 6 国宝 大毘盧遮那成仏神変加持経 巻1・巻2 2 巻 奈良時代・天平神護2 年(766) 西大寺
4-2 5 国宝 金光明最勝王経 巻1・巻6 2 巻 奈良時代・天平宝字6 年(762) 西大寺
4-3 5-1 国宝 月輪牡丹蒔絵経箱 1 合 鎌倉時代 西大寺
4-4 7 西大寺資財流記帳上下2 巻鎌倉〜室町時代 西大寺
4-5 2 重文 塔本四仏坐像 釈迦如来坐像・阿弥陀如来坐像 2 軀 奈良時代 西大寺
4-6 4 国宝 十二天像 帝釈天像・火天像・閻魔天像・水天像 4 幅 平安時代 西大寺 帝釈天 火天 閻魔天 水天
4-7 3 重文 如意輪観音半跏像 1 軀 平安時代 西大寺

【展示室4:⑵ 叡尊の信仰と鎌倉時代の復興】

4-8 20 重文 叡尊自筆書状 2 巻 鎌倉時代・建長元年(1249)、弘長2 年(1262) 西大寺各
4-9 13 国宝 興正菩薩坐像善春 1 軀 鎌倉時代・弘安3 年(1280) 西大寺
4-9-1 13-3 国宝 興正菩薩坐像 像内納入品のうち観海願文  1 通 鎌倉時代 西大寺
4-9-2 13-6 国宝 興正菩薩坐像 像内納入品のうち授菩薩戒弟子交名 1 巻 鎌倉時代 西大寺
4-9-3 13-5 国宝 興正菩薩坐像 像内納入品のうち西大寺有恩過去帳 1 巻 鎌倉時代 西大寺
4-10 23 重文 愛染明王坐像 善円 1 軀 鎌倉時代・宝治元年(1247) 西大寺
4-10-1 23-3 重文 愛染明王像 像内納入品のうち範恩造像願文 1 巻 鎌倉時代 西大寺
4-11 77 重文 黒漆大神宮御正体厨子 1 基 鎌倉時代 西大寺
4-12 14 重文 興正菩薩坐像 1 軀 鎌倉時代 白毫寺
4-13 16 興正菩薩像 1 幅 鎌倉時代 西大寺
4-14 19 興正菩薩像 1 幅 鎌倉〜南北朝時代 西大寺
4-15 22 重文 感身学正記 1 冊 南北朝時代・延文4 年(1359) 西大寺
4-16 52 重文 叡尊願文 1 巻 鎌倉時代・文永6 年(1269) 般若寺
4-17 27 南山大師像 1 幅 南北朝時代 西大寺

4-18 29 大智律師像 1 幅 南北朝時代 西大寺
4-19 48 重文 文殊菩薩騎獅及び四侍者像のうち文殊菩薩坐像・善財童子立像・最勝老人立像 3 軀 
鎌倉時代・正安4 年(1302) 西大寺
4-19-1 48-3 重文 文殊菩薩坐像 像内納入品のうち文殊菩薩像 1 軀 鎌倉時代 西大寺
4-19-2 48-4 重文 文殊菩薩坐像 像内納入品のうち八字文殊曼荼羅図 1 紙 鎌倉時代 西大寺
4-19-3 48-5 重文 文殊菩薩坐像 像内納入品のうち種字曼荼羅図・文殊図像・真言・種字等 1 巻 鎌倉時代 西大寺
4-20 58 重文 大黒天立像善春 1 軀 鎌倉時代・建治2 年(1276) 西大寺
4-20-1 58-2 重文 大黒天立像 像内納入品のうち大黒天像(曲物笥入)  1 軀 鎌倉時代 西大寺
4-20-2 58-3 重文 大黒天立像 像内納入品のうち弁才天懸仏(曲物笥入)  1 面 鎌倉時代 西大寺
4-21 78 地蔵菩薩立像仙算 1 軀 室町時代・永正11 年(1514)  西大寺(奥の院)
4-22 59 毘沙門天立像 1 軀 鎌倉時代 西大寺
4-23 55 重文 聖徳太子立像(孝養像) 善春 1 軀 鎌倉時代・文永5 年(1268) 元興寺
4-23-1 55-1 重文 聖徳太子立像(孝養像) 像内納入品のうち眼清願文 1 紙 鎌倉時代 元興寺
4-23-2 55-2 重文 聖徳太子立像(孝養像) 像内納入品のうち木仏所画所等列名 1 紙 鎌倉時代 元興寺
4-24 35 重文 釈迦三尊像(仁王会本尊)  1 幅 鎌倉時代 西大寺
4-25 36 釈迦三尊十六善神像 1 幅 鎌倉時代 西大寺
4-26 91 重文 愛染明王像 1 幅 鎌倉時代 宝山寺
4-27 89 尊勝曼荼羅図 1 幅 鎌倉時代 宝山寺
4-28 90 重文 弥勒菩薩像 1 幅 鎌倉時代 宝山寺
4-29 65 五大虚空蔵菩薩像 1 幅 南北朝時代 西大寺

【展示室5:戒律と舎利信仰】

5-1-1 13-1 国宝 興正菩薩坐像 像内納入品のうち金銅八角五輪塔 1 基 鎌倉時代 西大寺
5-1-2 13-2 国宝 興正菩薩坐像 像内納入品のうち舎利安置状 1 通 鎌倉時代 西大寺
5-1-3 34-1 重文 釈迦如来立像 像内納入品のうち舎利塔紐付 1 基 鎌倉時代 西大寺
5-1-4 48-1 重文 文殊菩薩坐像 像内納入品のうち舎利塔 1 基 鎌倉時代 西大寺
5-1-5 48-2 重文 文殊菩薩坐像 像内納入品のうち舎利塔容器 1 合 鎌倉時代 西大寺
5-1-6 58-1 重文 大黒天立像 像内納入品のうち五輪塔 1 基 鎌倉時代 西大寺
5-2 30 宇治浮島十三重石塔納置品のうち(金銅舎利塔1 基・水晶五輪塔 13 基・金銅筒型容器1 合・金銅瓶形容器1 合・鋳
銅経筒1 合・鋳銅五鈷鈴1 口・金銅蓮台 形容器1 合・銅版鋲留角形箱1 合・紺紙 金泥法華経第1 巻1 巻) 一括 鎌倉時代 放生院
5-3 44 重文 黒漆舎利厨子 1 基 鎌倉時代 般若寺
5-4 47 重文 十三重石塔納置品のうち(金銅五輪塔1基・金銅五輪塔1基・水晶五輪塔4基)  一括 鎌倉時代 般若寺
5-5 43 重文 金銅火焔宝珠形舎利容器 1 基 鎌倉時代・正応3 年(1290) 海龍王寺
5-6 40 舎利塔厨子 1 基 室町時代 西大寺
5-7 42 重文 金銅火焔宝珠形舎利容器 1 基 室町時代・応永21 年(1414) 西大寺
5-8 46 国宝 金銅能作生塔 1 基 鎌倉時代 長福寺(奈良県)
5-9 114 重文 金銅密教法具 (五鈷鈴・独鈷杵・五鈷杵) 3  鎌倉時代 極楽寺
5-10 121 重文 金銅装宝篋印塔 1 基 鎌倉時代・永仁5 年(1297) 称名寺(金沢文庫保管)
5-11 122 重文 玉華鬘 1 面 鎌倉時代 称名寺(金沢文庫保管)
5-12 123 重文 弥勒菩薩立像 像内納入品のうち舎利容器残闕 一括 鎌倉時代 称名寺(金沢文庫保管)

展示室6:西大寺の伽藍配置】

展示室7:⑴真言律宗一山の名宝】

7-1 63 重文 弘法大師坐像 1 軀 鎌倉時代 元興寺
7-2 54 聖徳太子立像(南無仏太子像)  1 軀 鎌倉時代 元興寺
7-3 56 如意輪観音坐像 1 軀 鎌倉時代 元興寺
7-4 49 文殊菩薩坐像 1 軀 鎌倉時代 法華寺
7-5 96 重文 普賢菩薩騎象像 1 軀 平安時代 岩船寺
7-6 94 重文 普賢菩薩坐像 1 軀 平安時代 文化庁
7-7 57 重文 不空羂索観音坐像 1 軀 鎌倉時代 不空院
7-8 101 重文 吉祥天立像 1 軀 鎌倉時代 浄瑠璃寺(6/6 ~ 6/11)
7-9 99 重文 地蔵菩薩立像(延命地蔵)  1 軀 平安時代 浄瑠璃寺
7-10 82 地蔵菩薩立像 1 軀 平安時代 不退寺
7-11 61 重文 太山王坐像康円 1 軀 鎌倉時代・正元元年(1259) 白毫寺
7-12 62 重文 司命半跏像・司録半跏像 2 軀 鎌倉時代 白毫寺
7-13 97 四天王立像のうち多聞天立像 1 軀 鎌倉時代 岩船寺

【展示室7:⑵忍性と東国の真言律宗】

7-14 110 忍性菩薩坐像 1 軀頭部 鎌倉時代 体部 室町時代 極楽寺
7-15 113 釈迦如来像 1 幅 南北朝〜室町時代 極楽寺
7-16 112 重文 釈迦如来坐像 1 軀 鎌倉時代 極楽寺
7-17 111 文殊菩薩坐像 1 軀 鎌倉時代 極楽寺
7-18 115 重文 釈迦如来立像院保他 1 軀 鎌倉時代・徳治3 年(1308) 称名寺(金沢文庫保管)
7-19 116 十大弟子立像のうち舎利弗像・富楼那像・迦旃延像・優波離像 4 軀 鎌倉時代称名寺(金沢文庫保管)
7-20 124 重文 地蔵菩薩坐像院誉 1 軀 鎌倉時代・元亨4 年(1324) 長福寺(福島県)
7-20-1 124-1 重文 地蔵菩薩坐像 像内納入品のうち妙法蓮華経巻8 1 巻 鎌倉時代 長福寺(福島県)(金沢文庫保管)
7-20-2 124-2 重文 地蔵菩薩坐像 像内納入品のうち某願文断簡 1 紙 鎌倉時代 長福寺(福島県)(金沢文庫保管)
http://www.mitsui-museum.jp/pdf/mokuroku_170415.pdf

興福寺 梵天・帝釈天 根津美術館で再会!

興福寺 梵天・帝釈天
112年ぶりに並べて展示された興福寺の梵天立像(右)と帝釈天立像(6日、東京都港区の根津美術館)

【以下は引用】

興福寺の仏像2体、112年ぶり「再会」 梵天と帝釈天
東京・根津美術館で並んで展示
2017/1/6 18:25

東京・根津美術館で7日に始まる「再会―興福寺の梵天(ぼんてん)・帝釈天」展で、高さ180センチ超の2体の仏像が112年ぶりに並んで展示される。

 興福寺が所蔵する梵天立像(重要文化財)と同館所蔵の帝釈天立像は明治期まで興福寺東金堂に安置されていた一組の像。1905年、廃仏毀釈で疲弊した寺を支援した実業家の益田鈍翁に帝釈天像が返礼として譲られ、その後、同館に渡った。

 運慶の父の門下の仏師、定慶による貴重な仏像の“再会”に「2体を対照できるまれな機会」と興福寺国宝館の金子啓明館長は話す。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFG06H6B_W7A100C1000000/

特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」

櫟野寺9
重要文化財 薬師如来坐像 平安時代・12世紀 滋賀・櫟野寺蔵

特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」を見に午前中、東博に行く。天気がよく10月とは思えぬ強い日差しと台風接近もあってかむし暑い。
巨大な十一面観音菩薩坐像(重要文化財)平安時代・10世紀や素朴な地方仏も良かったけれど、なんといっても薬師如来坐像(重要文化財)平安時代・12世紀が素晴らしい。定朝様のなかでも逸品である。
平等院鳳凰堂や法界寺では、これほど間近にて拝顔ができないが、今日の展示は距離が近く十分に堪能した。
地蔵菩薩坐像(重要文化財)平安時代・文治3年(1187)が次に興味深い。作風はいささか異なれども康慶作の静岡瑞林寺地蔵菩薩坐像を連想する。

さて、近江牛のファストフードのコーナーで「焼きしゃぶ+おにぎり」で腹ごしらえをして、13:30から平成館大講堂で、櫟野寺のご住職、三浦密照師による「近江の仏教文化と櫟野寺」を、つづいて滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の井上優主幹による「近江の仏教文化『史』と櫟野寺」を15:30まで聴く。井上主幹の話は巧みで厭きさせず、かつ内容豊富で大いに啓発された。その後、もう一度会場に戻り再度拝観して帰る。

(参考)
特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-481.html 【“特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」”の続きを読む】

特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」

櫟野寺8

特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」が、東京国立博物館(本館 特別5室)で 2016年9月13日(火) ~ 12月11日(日) まで開催される。

甲賀といえば伊賀とともに、一般には「忍者の里」というイメージが強いが、比叡山延暦寺にもちかく最澄はじめ天台宗の僧が拠点とし往時は大寺院が栄えたゾーンでもあった。ゆえに平安時代からの仏像の集積も並々ならぬものがある。その甲賀の名刹、櫟野寺諸仏のいわば引っ越し展示が東京秋の仏像探訪のハイライトである。

【以下は引用】(記載がないものは東博HPから)

1.櫟野寺 らくやじ (いちいの観音)の略縁起(当寺HPから)

福生山自性院櫟野寺(いちいの観音)は桓武天皇の延暦十一年に比叡山の開祖伝教大師様が根本中堂の用材を得る為に甲賀郡杣庄おいでにまりました時、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下彫刻安置されました。日本最大坐仏十一面観音菩薩がご本尊様です。(世に生えぬきの観音様と称されております。)

その後、延暦二十一年鈴鹿山の山賊追討に当たり、杣ケ谷を櫟野まで登られた坂上田村麻呂公は、当地鎮座の櫟野観音さまに祈られその御力により鈴鹿山の群賊を平定することが出来たのであります。(鈴鹿山の鬼退治と伝わる)それ故将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、永く当山守護の為に自ら等身の毘沙門天の尊像を彫刻、そして家来に命じて国技の相撲を奉納、是が現在まで継続しております大会式十月十八日の奉納相撲なのであります。

当寺は、天台宗総本山延暦寺の末寺で、往古は甲賀六大寺の筆頭と云われ、この地方の天台文化の中心寺院であり、広大な境内地を有し、その末寺には阿弥陀寺(櫟野)・仏生寺(神)・常楽寺・地蔵寺(櫟野)・成道寺(櫟野)・安国寺(櫟野)・詮住寺(櫟野)など数々の坊がありましたが、年月不詳荒廃に帰したのであります。(転宗、合併し一部現存)
http://www.rakuyaji.jp/engi.html

2.出展仏像

滋賀県甲賀市に所在する天台宗の古刹・櫟野寺(らくやじ)には重要文化財に指定される平安時代の仏像が20体も伝わります。
その数は、優れた仏像が数多く残る 滋賀県でも特筆されます。本展は、20体すべてを寺外で展示する初めての機会です。本尊の十一面観音菩薩坐像は像高が3メートルもある圧巻の作品で、普段 は大きく重い扉に閉ざされる秘仏です。他にも、11体の観音や、どこか親しみのある毘沙門天立像、文治3年(1187)に造られたこと が知られる貴重な地蔵菩薩坐像など、櫟野寺に伝わる平安彫刻の傑作を一時にご覧いただける展覧会です。

櫟野寺1

櫟野寺2
重要文化財 十一面観音菩薩坐像  平安時代・10世紀  滋賀・櫟野寺蔵

◆木造十一面観音坐像(秘仏)
像高3mを超す大観音で、重要文化財に指定された十一面観音菩薩坐像では日本最大です。頭と体は一本の大木から彫り出されます。木の重さが伝わってくるような重厚な姿ですが、美しく整った顔を仰ぎ見ると心が癒されます。迫力と穏やかさがともにみられる表現は、10世紀の仏像の特徴です。

今から1200年前、比叡山開祖の伝教大師最澄上人が、根本中堂建立のため用材を求め、当地に来錫の折、櫟の巨木に霊夢を感じ一刀三礼のもと立木に刻まれたと伝わる、我が国最大を誇る坐仏の十一面観音さまです。(当寺HPから)

櫟野寺9
重要文化財 薬師如来坐像  平安時代・12世紀  滋賀・櫟野寺蔵

◆木造薬師如来坐像(甲賀三大仏)
左手に薬壺をもち、病気平癒をつかさどる薬師如来像です。本尊よりは小さいものの、仏像に求められる理想的な大きさである周丈六(しゅうじょうろく)を基準に表された像高2.22mの大作で、その穏やかな表現は、都の大仏師、定朝(じょうちょう)の作風を模範とする定朝様に倣います。最澄が開創した延暦寺根本中堂の本尊は薬師如来であり、いかにも天台宗の古刹、櫟野寺にふさわしいみほとけといえます。

櫟野寺の筆頭末寺であった、油日岳奥の院 詮住寺の本尊と伝わります。 作風は、定朝様の寄せ木造りで平安時代後期の周丈六仏です。台座、光背も当時のものが残る滋賀県下最大のお薬師さまです。 (当寺HPから)

櫟野寺3
重要文化財 薬師如来坐像

櫟野寺11
重要文化財 地蔵菩薩坐像  平安時代・文治3年(1187) 滋賀・櫟野寺蔵

◆木造地蔵菩薩坐像
地蔵菩薩は、釈尊が入滅したのち、弥勒がこの世にあらわれるまでの56億7千万年という長い間、我われを救って歩くという役目をもっており、古くより信仰されてきました。本像は像内の銘文から、文治3年(1187)に造られたことがわかります。仏師運慶らによって写実的な仏像が造られるようになった頃ですが、櫟野寺周辺ではまだこのように、平安風で穏やかな姿の像が造られていました。

櫟野寺末寺の地蔵院寛澤寺の本尊で、体内に文治三年(一一八九)の銘記があります。 このお地蔵さまは、腹帯を結んでおられるため、安産のお地蔵さまとして信仰され、地元では、お地蔵さまから腹帯を授かる風習が残っています。 (当寺HPから)

櫟野寺4
地蔵菩薩坐像

櫟野寺10
重要文化財 毘沙門天立像  平安時代・10~11世紀  滋賀・櫟野寺蔵

◆木造毘沙門天立像
平安時代の初めに坂上田村麻呂が鈴鹿山の山賊の追討を櫟野寺で祈願し、それが叶うと毘沙門天像を造って安置したといいます。この像は10~11世紀頃に造られたものですが、目をつり上げ、口をへの字に歪める表情にはどこか親しみをおぼえます。腹部に表された奇妙な顔にも注目してください。

この毘沙門天さまは、征夷大将軍坂上田村麻呂公、等身大(五尺八寸)の御分身と伝わる尊像で、寺伝では、櫟野観音の加護により鈴鹿山の山賊平定の報恩のために本尊守護のために祀ったと伝わります。 特に江戸時代には、田村麻呂公の信仰が盛んとなり、鈴鹿山麓の田村麻呂公を祀る田村神社と櫟野寺の二社寺を詣でる田村参りが盛んに行われました。 (当寺HPから)

櫟野寺6
毘沙門天立像

櫟野寺5
重要文化財 観音菩薩立像  平安時代・10~11世紀  滋賀・櫟野寺蔵

◆観音菩薩立像
櫟野寺には、本尊の十一面観音菩薩坐像をはじめ、10世紀~12世紀にかけて造られた観音菩薩が現在も複数残されています。このことは、観音への信仰がこの地に深く根ざしていたことをものがたっています。本像はそのなかでもすぐれたできばえの像で、切れ長の目など表情には厳しさがありますが、細身に表された体つきは優美です。

櫟野寺7

滋賀県甲賀市に位置する天台宗の古刹、櫟野寺は、延暦11年(792)に最澄が延暦寺の建立に際して良材を求めて当地を訪れ、櫟(いちい)の霊木に観音像を刻んだことがその始まりと伝えられます。鈴鹿山脈に連なる油日岳の山麓に位置し、すぐ近くを琵琶湖に注ぐ杣川(そまがわ)が流れるという立地は、世俗を離れ比叡山中で修行した最澄が、良材を求めた場所としてふさわしく感じられます。
征夷大将軍の坂上田村麻呂が山賊追討の祈願成就をよろこび、堂塔を寄進したとの伝承も残ります。また、白州正子氏が「かくれ里」とも呼んだこの櫟野(いちの)の地には、櫟野寺を拠点として数多くの天台寺院が建立され、豊かな仏教文化が花開いたのでした。秘仏本尊の十一面観音菩薩坐像はその制作が10世紀後半に遡るため、そのころには櫟野寺が甲賀における仏教文化の中心であったことが知られますが、本尊含め重要文化財に指定される平安仏は20体にも及びます。これら平安仏が林立する光景を前にすれば、かつて末寺として七坊を誇ったという名刹、櫟野寺の栄華がしのばれるでしょう。
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