大和古仏探訪

京阪神を中心に内外の古仏についていろいろと書いてみたいと思います。

松蔭寺銅製如来坐像 飛鳥後期の作品か

松蔭寺銅製如来坐像
銅造如来坐像(横浜市教育委員会提供)

京都で飛鳥仏発見かのビック・ニュース(下記参照)、一方横浜からも同様な配信あり。日本のモノを大切にする伝統、誇れると思う。

◆京都妙傳寺・半跏思惟像 飛鳥仏の可能性
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-491.html

【以下は引用】
松蔭寺の仏像 市文化財に 市内最古の彫刻

東寺尾の松蔭寺(川上敬之住職)が所有する銅造如来坐像(伝阿弥陀如来像)が、このほど横浜市の文化財に指定された。

 横浜市は、1987年に横浜市文化財保護条例を制定し、重要な価値を持つ市内の文化財や史跡などを指定・登録している。

 銅造如来坐像は、高さ25・3cmの飛鳥時代後期の金銅仏。仏像彫刻としては市内最古で、関東地方でも希少な作例。もともとは松蔭寺が管理していた神奈川区の八幡宮に祀られていたが、明治期の神仏分離で同寺へ移された。「当時は天皇の権威を高めるため、壊された仏像もあったが、苦難を乗り越えた」と同寺の川上敬吾閑栖は話す。

 現在は東京国立博物館へ寄託され、寺内で見ることはできない。川上住職は、「地元で知る人は少ない。実は鶴見にあったと知ってもらえたら」と話している。

http://www.townnews.co.jp/0116/2017/01/12/365306.html 

京都妙傳寺・半跏思惟像 飛鳥仏の可能性

半跏思惟像 京都小寺院

新春にふさわしいニュース。下記の記事を読むかぎり、かなりの確度で「本物」ではないかと思われる。その理由は、このくらいの大きさの仏像の場合、ポータビリティが高いので、さまざまな数奇な出来事はあったにせよ、今日まで奇跡的に引き継がれてきたとしても、それは十分にありうる話であること(以下の2記事を参照。特に向原寺は最近の事例)。是非、ご尊顔を拝してみたい。

◆日韓国交正常化50周年記念 特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-477.html

◆向原寺観音菩薩立像
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-200.html

【以下は引用】

小さな寺の仏像 実は朝鮮半島伝来の貴重な仏像か
1月7日 16時42分

京都市の小さな寺にある、江戸時代のものと思われていた仏像が、実は、仏教が日本に伝来して間もない頃に朝鮮半島で作られた極めて貴重な仏像の可能性が高いことが、大阪大学などによる最新の調査でわかりました。専門家は「こうした貴重な文化財は、ほかにも埋もれている可能性がある」と指摘しています。

京都市左京区八瀬近衛町にある「妙傳寺」では、「半跏思惟像」という高さおよそ50センチの青銅製の仏像が本尊として安置されていて、これまでは、寺が建てられたのと同じ江戸時代のものと思われていました。

この仏像について、大阪大学や東京国立博物館の研究者が改めて鑑定したところ、額に刻まれた模様や装飾品の龍のデザインなどが6世紀から7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像や出土品の特徴と一致していました。さらに、仏像にX線を当てて金属の成分を詳しく調べた結果、銅がおよそ90%、スズがおよそ10%で鉛はほとんど含まれていませんでした。こうした割合は日本や中国の仏像にはなく、7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像である可能性が極めて高いことがわかったということです。

この時代は、日本に仏教が伝わってまもない時期に当たりますが、この仏像がどういう経緯でこの寺に伝わったかはわかっていません。
調査に当たった大阪大学の藤岡穣教授は、「韓国では国宝級となる最高レベルの仏像で、こうした仏像が見つかったことは大きな意味がある。ほかにも、埋もれている貴重な文化財がまだまだ見つかる可能性があり、価値に気付かれないまま盗難などの被害に遭う前に、調査が進んでほしい」と話しています。

決め手の一つとなった調査方法

今回、仏像の由来が明らかになった決め手の一つは、仏像に使われている金属の成分の分析でした。

寺などに安置されている仏像を分析するには、傷つけずに、しかもその場で調べる必要があります。このため、今回の調査に当たった大阪大学の藤岡穣教授が使ったのは、X線を金属に当て、含まれる成分によって跳ね返ってくるX線の波長が異なることを利用した、「蛍光X線分析」と呼ばれる手法でした。
かつては機器が大きくて持ち運びできませんでしたが、技術の進歩によってドライヤーほどの大きさまで小型化し、研究者が現場に持ち運んで測定できるようになりました。

藤岡教授らは、この機器を使って日本国内だけでなく中国や韓国などの古い仏像およそ400体の分析を積み重ねていて、そのデータの蓄積が今回の成果に結びついたということです。

3Dスキャナー使い盗難対策

地域に根ざした小さな寺にあった仏像が、極めて貴重なものとわかったことで、新たな心配も浮上しました。盗難のおそれです。
このため、妙傳寺の荒木正宏住職は、地元の人たちの理解を得たうえで、専門の業者に依頼し、仏像の複製品を作ることにしました。大阪の業者が「3Dスキャナー」と呼ばれる装置で仏像の細かなデザインの立体的なデータをとり、富山県高岡市の仏像作りの職人がこのデータを基に鋳型を作りました。さらに別の職人が仕上げの細工や色つけを施し、最新の技術と伝統の技法によって、1000年を超える歴史とともに刻まれた風合いまで再現した本物そっくりの仏像が完成しました。

本物の仏像は博物館で保管し、寺には新しく完成した仏像が安置されることになっていて、今月、寺で地元の人たちにお披露目されました。集まった女性の1人は「本物そっくりでびっくりしています。本物が移されるのは少し寂しいですが、しかたないと思います。博物館にちゃんとすてきなご本尊様がいらっしゃると思って手を合わせたいです」と話していました。
荒木住職は「博物館でできるだけ多くの方に見ていただきたい。将来、寺で安全に保管できる設備が整ったときに、ご本尊様に帰ってきてほしい」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170107/k10010831921000.html
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http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/10/2017011000989.html

東大寺 よみがえる仏の大宇宙

東大寺大仏3

NHKのBS深夜番組で、「東大寺 よみがえる仏の大宇宙」を見た。

http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010743_00000

【以下はNHKの番組案内からの引用】

天平時代、聖武天皇の発願により築かれた東大寺。幾たびもの戦乱に巻き込まれ、創建当初の大仏や建物は失われた。天平時代の寺や仏像の調査を基に、創建当初の大仏を30分の1のサイズで、当時の製造方法を用いて再現。また100メートルもの七重塔がそびえていた大伽藍(がらん)や、巨大な仏像が林立していた極彩色の大仏殿内部を、デジタル技術で再現する。リポーターは演出家の宮本亜門。語り:森田美由紀

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3599/2315723/index.html
東大寺大仏images

これはDVDで「東大寺 ~よみがえる仏の大宇宙 [DVD]」として 販売されており、その解説が詳しい。

https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA-~%E3%82%88%E3%81%BF%E3%81%8C%E3%81%88%E3%82%8B%E4%BB%8F%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%AE%87%E5%AE%99-DVD-%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E4%BA%9C%E9%96%80/dp/B000R1AAFC

【以下はAmazonからの引用】

NHK BS hiで放映された特別番組をDVD化。世界最大級の木造建築物であり、世界最大級の木造鋳造物=大仏を蔵する奈良の東大寺。古来の信仰と謎に満ちたその大宇宙を、演出家・宮本亜門がデジタル技術で再現した東大寺の映像などを元に紐解く。

東大寺大仏殿そして大仏。
今は失われた天平創建当時のその姿を、最新のデジタル技術と当時の製造方法を用いて再現する。
1250年のときを経て、荘厳な仏の宇宙が今よみがえる。
(NHK BS-hiにて2006年12月11日に放送)

演出家・宮本亜門がナビゲーターとなり辿る復元プロジェクト。
「なぜ仏様がこれほど美しいのか」という想いを胸に、人間の叡智と精神から生まれる永遠の美しさを伝える。
古都、奈良を象徴する東大寺。
「奈良の大仏」として親しまれる国宝・盧舎那仏坐像を本尊とする華厳宗大本山である。
歴史的にも文化的にも貴重な建造物であり、1998年に世界遺産 に登録されている。
しかし、その東大寺の建造物には今なお謎が多い。
聖武天皇によって天平時代に創建されたが、大仏は大部分の建築物とともに焼失してしまった。
現在の大仏は、鎌倉時代と江戸時代に再建されたものである。
聖武天皇の没後1250年にあたる平成18年は、東大寺では盛大な法要が営まれると同時に、東大寺のオリジナルの姿、極彩色の仏像が立ち並ぶ「荘厳な仏の大宇宙」を復元する試みが行われた。
本作では往時の姿を最新のテクノロジーによって現代によみがえらせ、あらためて東大寺や大仏を検証する。
天平の大宇宙と呼べる空間、そして人々の信仰を紐解き、奈良の東大寺の全貌を映し出す。
復元プロジェクトの目玉は、かつては大仏を含む7体の巨大仏が林立していたという大仏殿のCG化。
最新の研究成果を通して細部まで再現する。鮮やかな文様な仏画までも甦らせる。

<内容>
・プロローグ 天平の大仏と大仏殿を復元する
・平成18年 聖武天皇1250年忌
【謎1 大仏はどんな姿だったのか パート1】
【謎2 大量の銅をどこで確保したのか】
【謎1 大仏はどんな姿だったのか パート2】
・1260年ぶりの燃灯供養
【謎3 大仏を囲んだ謎の巨大仏とは】
【謎4 どのように銅は採り出されたのか】
【謎5 どのように鋳造は行われたのか】
【謎6 なぜ大勢の人を動員できたのか】
・開眼から続く修二会
・鋳造の完遂
【謎7 天平の大仏殿の姿とは】
・大仏復元プロジェクト完遂
・未完成で行われた開眼供養会
・完成した天平大仏殿
・エピローグ 万燈供養会

特典映像:影絵劇 大仏建立物語

東大寺大仏images

以下では、若干の感想を付しておきたい。この番組は良くできていると感心した。特に、1/30のスケールの大仏復元プロジェクトは見ごたえ十分で、多くの人たちの手をへて作像される過程は感動的ですらあった。その一方、為政者の捉え方には疑問を禁じえなかった。

東大寺大仏

東大寺は大きな寺である。見どころも数知れず。大仏殿の前の八角灯籠火袋音声菩薩は目立たないけれど必見のものである。しかし、この温和の表情とは全く異なり、当時の聖武天皇は、一種のノイローゼ状態であり、動員された多くの民は非常な労苦に苦しみ、さらに大仏建立には鉛害という厳しい公害問題が伴った。
番組では、このあたりの事情は一切無視して、聖武天皇の「聖人」君主ぶりが強調されていたが、ここにはいささかならず違和感を感じた。

◆東大寺大仏殿前八角灯籠火袋音声菩薩
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-397.html

東大寺は、聖武天皇がつくった最大、最強の国営寺院である。前身にあたる金鐘寺(こんしゅじ)は古密教の強い影響を受けている。大仏をもって東大寺はその威光を放つが、当初大仏造立は紫香楽宮(滋賀県甲賀寺が措定)で計画された。聖武天皇は天然痘の猛威などの国情の動揺もあり、これを放棄して東大寺での造像を命じた。計画途上での変更であり、それだけでも厖大なる浪費があったことが最近の研究でも明らかになりつつある。
番組でも詳細の紹介があるが、平安時代の絵巻物『信貴山縁起』 (尼君の巻、朝護孫子寺蔵)には聖武天皇が建立した大仏殿の当時のありさまをうかがわせる貴重な絵がある。このクローズアップ映像は本番組の白眉であった。

開眼の導師は菩提僊那だが大仏という「モノ」はできたが、仏法僧の「ひと」たる僧がいなければ鎮護国家はできない。鑑真の入都は大仏開眼の1年後であり、ここに戒壇院ができる。聖武天皇自身に加えて多くの僧が戒を受けた。文字通り「ひと」を得てこれではじめて鎮護国家の体裁が整うこととなる。

東大寺大仏images

◆大仏関連年表

天平13年(741年) - 聖武天皇による国分寺建立の詔
天平15年 - 聖武天皇による大仏造立の詔
天平16年 - 甲賀寺において、大仏造立開始
天平17年 - 恭仁京から平城京へ遷都

天平勝宝4年(752年) - 大仏開眼供養
天平勝宝7歳 - 戒壇院建立

承和3年(836年) - 空海、真言院を創建。
斉衡2年(855年) - 大仏の頭部落つ、同年修理。
保安元年(1120年) - 大宰府の観世音寺、東大寺の末寺となる。
治承4年(1180年) - 平重衡による南都焼討。東大寺、興福寺は大被害。
文治元年(1185年) - 大仏落慶供養。
建久6年(1195年) - 東大寺総供養。

永禄10年(1567年) - 東大寺大仏殿の戦い、大仏殿や大仏など東大寺大被害。
永禄11年(1568年) - 山田道安による大仏頭などの修復、清玉による勧進はじまる。
天正11年(1583年) - 西大門が倒壊。
慶長11年(1606年) - 中御門が焼失。
寛文7年(1667年) - 二月堂焼失。
元禄元年(1688年) - 公慶による大勧進、復興始まる。
元禄5年(1692年) - 大仏開眼供養。
明治元年(1868年) - 神仏分離令
明治5年 - 浄土宗に組込まれる。
明治12年 - 大仏殿修造開始。
明治16年 - 華厳宗として独立。
大正4年(1915年) - 大仏殿修理落慶供養。
昭和48年(1973年) - 昭和大修理開始。
昭和55年(1980年) - 昭和大修理なる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

東大寺大仏images

大橋 一章・ 斎藤理恵子 編著『東大寺―美術史研究のあゆみ』(里文出版  2003年)では多くの研究成果が紹介されている。しかし、寺の協力を仰げば仰ぐほど、寺の権力構造の暗部は書きにくいこともあろう。東大寺は先に指摘したとおり、最大、最強の国営寺院として建立された。しかし、それゆえの強い桎梏などもあったであろう。インサイダーとは言わないが、内実を知る者の発言は重い。狭川 普文『東大寺物語―シルクロードの終着駅・奈良』(フジタ  1985年)はこうした視点では面白く読める。

◆狭川 普文氏について
http://www.asahi.com/articles/ASJ283J37J28POMB008.html

東大寺大仏2

ものごとにはすべて功罪があり、作用・反作用がある。聖武天皇の強迫観念にも近い思い入れがなければ、当時において民を疲弊させた「身の丈をわきまえない」大仏建立という国家事業はありえなかった。それによって奈良の平城京自体の運営が傾いた。だが、反作用の振り子は平安京への遷都という別の権力構造を導く。

東大寺はじめ南都六宗は、新興勢力たる密教に国教の地位を奪われるが、東大寺の大仏は厳然として残った。その後の歴史を見ても、日本唯一の大仏があったからこそ、その保持のために東大寺は残った面もある。もちろん後世、重源、公慶といった傑僧がでて必死の勧請をし、多くの関係者の努力なくして東大寺の今日の存立はありえなかっただろう。しかし、そうした傑僧を生み出す力も大仏の人知の及ばぬ超越的エネルギーゆえであったかも知れない。

そして、造東大寺司は滅びても南都で慶派が彗星のように出でて鎌倉彫刻の黄金時代を築く。

◆造東大寺司
https://kotobank.jp/word/%E9%80%A0%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%8F%B8-848024

◆重源と快慶ーその絆と気脈
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-426.html 【“東大寺 よみがえる仏の大宇宙”の続きを読む】

真岡・専修寺 一光三尊仏

◆◆◆◆
高田山専修寺  一光三尊仏像

【以下は引用】
【真岡】高田の国指定史跡・高田山専修寺の本尊で、2014年3月の御開帳後に津市の真宗高田派本山に移されていた「一光三尊仏像」が31日、2年ぶりに同寺に戻る。同寺は翌日の4月1日から3日間、本尊の帰還を祝う「御復座法会」を実施、同仏像を再び一般公開するほか、貴重な所蔵品の数々も合わせて展示する。

 一光三尊仏像は鎌倉時代、同寺建築中の親鸞(しんらん)が長野の善光寺から譲り受けたと伝えられる秘仏。本山の意向や秘仏という性格上、文化庁などの調査を受け入れていないため「隠れた国重文」と言われる。1998年以来の御開帳となった14年は、3日間だけ同寺で公開。その後は慣例に従って本山に運ばれていた。

 今回の法会では午前8時から午後4時(最終日は午後2時半)まで、御影堂須弥壇(しゅみだん)に安置された同仏像を無料参拝できる。500円の参拝料を支払えば仏像により近い「内陣(ないじん)」での参拝が可能になる時間帯も設ける。

 同寺の長岡辰夫(ながおかたつお)総代(75)は「貴重なこの機会に、ぜひ参拝してしてほしい」と話している。(問)同寺0285・75・0103。

 【一光三尊仏像】 インド、中国、百済を経て538年に日本に渡り、三国伝来の仏像としては日本最古とされる。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20160328/2277252

目指せ「クローン仏像」 富山、制作中の釈迦三尊像公開

法隆寺釈迦三尊N1

タイトルを含めて面白い記事。以下は引用。
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 奈良・法隆寺の国宝「釈迦(しゃか)三尊像」の再現に取り組む富山県の高岡、南砺両市などは21日、制作中の仏像を高岡市で公開した。伝統の鋳物と木彫り技術を用いて、単なるレプリカではなく、同じ成分の素材を使った「クローン仏像」を目指している。実現すれば門外不出の文化財でもクローンを世界各地で展示でき、手触りまで楽しめる。

 この日は、鋳造を終えた中央の釈迦如来(高さ87.5センチ)と両脇の脇侍と呼ばれる立像や木製の台座などを組み立て前の状態で披露。東京芸大で表面の仕上げをし、秋ごろに完成させ、2016年度中に公開する予定という。

 再現仏像は、東京芸大が法隆寺の釈迦三尊像から3次元データや成分データを取得。3Dプリンターで型をつくり、高岡の鋳物業者が約2カ月かけて鋳造した。ヒノキとクスノキでできた台座部分は、精密な浮き彫り技術で知られる南砺市の井波彫刻の職人が彫った。

 高岡市は鋳物作りに400年以上の歴史を持ち、再現事業に計4500万円を計上、「プロジェクトをきっかけに、国内外で鋳物技術を売り込みたい」と意気込む。〔共同〕
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG21H3T_R20C16A3000000/

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